東照宮を礼拝した芭蕉と曽良は黒羽を目指して野道を行き、農夫の馬を借りるなどのハプニングがあって玉生で一泊した。翌日黒羽の寄瀬に着き、知人の家で数日を過ごす。そこから那須野に入って殺生石を見物した。私の旅も同行2人と行きたいが、歩く距離が長くなると魚の目という宿敵を足裏に持つかみさんにはつき合ってもらえず、一人旅となった。
今様の旅は鉄道を使うから、順序としては先に那須へ行く方が便利である。昼近くに那須塩原駅を出るロープウエイ行きのバスに乗った。2、3人の乗客が黒磯駅で降りた後は貸し切り状態で見事な赤松の街道を行く。
赤松の街道を過ぎて眠っているような新那須や湯本の温泉街を抜け、殺生石の案内板を左に見て有料道路に入った。カーブ、またカーブ、ジグザグの道を走って出発点から1時間15分、終点のロープウエイ山麓駅に着いた。右に朝日岳、正面に主峰茶臼岳のはずだが、あいにくガスにかすんで何も見えない。無駄足だったかと半分悔やみながらゴンドラに乗ると、子ども達の団体がいて大変な賑やかさだ。みんな窓にしがみついてガスばかりの外を見ている。
山頂駅に着いても相変わらずガスの中、茶臼岳の山腹がかすんでいる。山頂は全く見えない。色とりどりの服を着た子ども達が歩き始めたので、私も後を追ってスタートした。火山礫の道は滑って歩きにくい。子ども達は元気に歩いているが、男の子が2人落伍気味で先頭との距離は開くばかり。付き添いの女性も焦り出す。
「坊や、がんばれ」
と体を持ち上げて大石を越してやった。
「引率ご苦労様です。学校ですか」
「いいえ、保育園です。女の子がほとんどで男子は3人しかいないんですよ」
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(左)赤松の道を行く(中 )ゴンドラの中の園児たち (右)霧の登山道 |
その中の2人がこの調子では先が思いやられる。孫みたいな若い先生に保育園の話を聞きながら歩いた。歩くにつれてガスが晴れ上がり茶臼岳が徐々に全容を現し、足下にはスギゴケの親分みたいな緑の絨毯が拡がった。ガンコウランというれっきとした樹木で、間に咲く紫のリンドウが印象的だ。絨毯の向こうは白茶けた大小の岩石の集合体で黄色っぽい石や赤紫の石も混じっている。
歩き始めて30分くらいでガスの向こうに園児達がかたまって見えた。そこが終点らしい。
「ほら、あそこまで行けば弁当が食べられるぞ。頑張れ」
「うん」
子どもがスピードを上げて歩き出したので先生も礼を言って去る。私は岩の前で人待ち顔に立っていたおばさんグループの写真を撮ってやり、自分も1枚写してもらった。園児達が弁当を食べていたのは牛が首という茶臼岳を巻く登山道から南月山の方角に向かう稜線にある。ここから茶臼岳を見ると山腹から何本も噴煙が上がっていた。硫黄の匂いが漂ってくる。急に温泉に入りたくなった。
牛が首で一休みして、来た道を引き返した。山麓駅の売店で土鈴を探す。那須と言えば九尾のキツネだが、売り物の土鈴には尻尾がなかった。
「肝心の尻尾がないね」
「確かに。でも目を見てください。金ピカに光って凄味があるじゃないですか」
そう言われて見れば、帝をたぶらかした妖艶な女に見えないこともない。
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(左)ガンコウランの群落(中)茶臼岳をバックに (右)噴煙の上がる山腹 |
時刻表を見ると次のバスまで1時間近くあったので、湯本まで歩くことにした。有料道路はカーブの連続だが、このカーブを縫い、時に串刺しにして自然歩道が通じている。藪の中の細い道で「クマに注意」だの「サルに注意」だのという看板を見かけるのが不気味。ご親切は有り難いが一本道では注意のしようもない。
旅ガラスの足もようやく棒になりかけた頃殺生石の入口にたどり着く。那須岳の末端が湯本の温泉場に落ち込む所で白い岩肌がむき出しになり、大小の岩石がゴロゴロしているのだった。硫黄の匂いが鼻をつく。付近は柵をして立ち入り禁止なので、「蜂・蝶のたぐひ、真砂の色の見えぬほどかさなり死す」という記述も確かめようがない。
殺生石の手前は大小の石が転がる賽の河原だが、その一角に赤や白の頭巾をかぶった地蔵が数え切れないくらいに並び、一段高い所に大きな地蔵が坐っていてこの方がボスらしい。昔教伝という坊さんが親不孝の報いを受けて、ここで湧きだした火炎熱湯に焼かれて死んだのだそうだ。地蔵群は後に村人が供養のために建てたものだった。隣の足湯は女性で満員というか満足というか、老人風情には足の入れようがない。温泉場のバス停近くにある中藤屋旅館の風呂に入れてもらった。
ここの温泉は私の好きな乳白色の硫黄泉だった。名湯か名湯でないかを問わず、温泉に入ったという実感がわく。宿の人に聞いたら硫黄泉は湯本だけで、奥那須も新那須も単純泉の由。広い湯船を独り占めしてぜいたくな気分を味わった。
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(左)九尾のキツネ (中)殺生石 (右)教伝地獄の地蔵群 |
(平成19年9月20日)