千住で門人たちに別れを告げた芭蕉は、その日「漸草加と云宿に」たどり着いたことになっている。実際は草加など目もくれず粕壁(春日部)まで飛ばし、3日目に歌枕の室の八島を訪ねているのだった。
 ここを訪ねるには東武電車の新栃木で宇都宮行きに乗り換え野州大塚で下車するのだが、普通電車の間隔が結構長い。日光行きのスペーシアを何本も見送ってかみさんはイライラ。
「歌枕なんて早く済ませて日光へ行こうよ。あなたはいつも途中で引っ掛かるんだから」
 室の八島こと大神神社は駅から20分ほど歩いた田圃の奥にあった。神饌所が建て替え中で境内は雑然としていた。本殿左手前の鬱蒼と茂る木立の間に池を巡らし、八つの小島を配してそれぞれ名のある神社の祠を置いている。中央の島にあるやや大きめの祠がコノハナサクヤヒメを祀る富士浅間神社だった。ニニギノミコトに不倫を疑われた女神が「嘘かほんとか証拠見せてやろうじゃないの。女の意地!」とばかり産屋に火を放って三つ子を出産した。それが「けぶりたつ」の由来だというのに、本殿を大和の神様に乗っ取られこの程度の待遇に甘んじているのはお気の毒な話。
 昔この辺は沼の広がる湿地帯だったというから、晴れた日には陽炎のたつことも多かったろう。あいにく芭蕉が来たころは雨続きで陽炎など見ることはなかったはずだ。それでも念願の奥州に一歩を踏み出した芭蕉は「ほそ道」の記述とは裏腹に意気軒昂としていたにちがいない。
 糸遊に結つきたる煙哉
とのどかな一句を献じて女神への手みやげに代えた。

(左)大神神社 (中)富士浅間神社 (右)芭蕉句碑/td>