<丹田論争>

呼吸法に関する意見交換

第3回 2002.3.26


<関東TK氏から黒坂へ>

私がこれまで見聞きした世界的プロの実演、レクチャー、書籍などから共通項を抽出すると、スケールやアルペジオを吹くような場合、息とアンブシュアの貢献度は9対1くらいで、息の重要性が高いという認識です。

ホルンの場合、クラシックで要求される音域、スタイルの幅がかなり広いため、テクニカルな要求に応じて、マジオシステムからスーパーチョップスまで運用せざるを得ない局面に出くわしますが、ことレジスターコントロールに関しては息が全てになります。

クラシックの世界というよりもオーケストラの世界では呼吸法に対する要求は非常に大きいものがあります。これはオーケストラ音楽がある意味で「奴隷の音楽」であり、オーケストラプレーヤーはガレー船の漕ぎ手の資質を要求されることによります。
もちろんどんな大オーケストラでも、基本はアンサンブルなのですけれども、指揮者というものが絶対的存在としてあるかぎり、自分のフレージング、自分のテンポが許される余地は極めて限られています。

「まま」呼息については全く異論がありません。というより、これはある程度以上の技術の人であれば「吹いてみればわかる」の世界。ふだんは意識していない人の方が多いと思いますけれども、一応吹けるレベルの人なら「言われてみればそうだな」と思うでしょう。
自然な深呼吸は先天的、本能的なものです。ふだん浅い息をしている人でも、まとまった運動をした後、ゼーゼーいうパニック呼吸が一段落したあたりでの深い呼吸は、みな出来ています。

また、もっと本能的なものとして、アクビがあります。アクビは脳が酸欠気味でボーッとしてきたときに体に行なわせる強制深呼吸で、「ア」音の口を開け、肺の底の方までたっぷりとした息をとり、そのままゆっくりした呼気に移行します。アクビの呼吸は金管楽器の呼吸法として理想的なものの一つです。

<黒坂からTK氏へ>

この議論は以前にもふれたとおり、「自然」という言葉がネックになると思います。たしかに人間の身体は本来、先天的に「自然(=理想的)な」呼吸ができるようになっているはずです。
しかしながら、成長するにつれて、人間は好ましくない癖をいくつも身に付けていきます。これは、我々の生活がきわめて「不自然」であることからくるものでしょう。
「自然に呼吸する」という場合、通常は「意識的努力をともなわない呼吸をする」と同義である場合が多いと思われます。このときになされる呼吸は、「理想的」という意味での「自然」ではなく、むしろ「我流」に近い内容でしょう。そして「我流」はふつう「不自然」なのですね。
運動後の呼吸やアクビなどは、「理想的」という意味での自然な呼吸と呼んでもよさそうですが、それも若年層に限っての話かもしれません。個人差はあるものの、ある程度以上の年齢では、呼吸筋群はもとより全身の内臓、筋肉が固まってしまうため、「自然」でなめらかな動きをできないことが知られています。
ひらたくいえば、アクビにも「うまいへた」があることは事実として認識すべきであり、アクビ上達のためにも自覚的・継続的な脱力トレーニングが欠かせない、というのが私の考えです。

<TK氏から黒坂へ>

運動後の呼吸やアクビのような深い呼吸は、平静状態には体が必要としていないものですから、これを必要に応じて自分で再現できるようになれば、吸気の問題はほぼ解決したようなものです。

自分の肺活量(=楽器演奏に使える全空気量)を100として、それを110にする試みにはあまり意味がありません。たとえばシカゴシンフォニーの元3番ホルン奏者(まれに1番を吹くこともあり)は女性でしたが、確か肺活量は3000台くらいしかなかったと思います。それでも、ブレスコントロールがしっかりしていれば、あのスーパー大音量オケのホルン奏者がつとまるわけで、大事なのは、吐き方、使い方です。

<黒坂からTK氏へ>

アクビを自在に再現できるようになろうという意見には賛成です。たとえアクビが、言葉の真の意味で理想的ではなかったとしても、日常レベルで考えれば相当ハイレベルな呼吸であることは事実だからです。
また、シカゴシンフォニーの女性ホルン奏者の話にはとても勇気づけられます。