<まま呼息の発見>

管楽器演奏の呼吸に関する考察
質疑応答編

第7回


<三たび問うー呼吸法は必要か>

管楽器奏者の呼吸法については、本当にいろんな考え方があります。今回の論文をきっかけに、多くの演奏者・指導者と意見交換する中で、ある方(C氏としましょう)からこんな見方をご紹介いただきました。

(C氏のメールより)
楽器の演奏に呼吸法の練習や知識は必要か? 
初心者には必要。中級者以上もそれに起因する問題点(息が足りなくなる、音質、鳴りが悪い)が出たときのチェックポイントとしては重要。
問題がない状態の時には考える必要がない。常に考えるべきことは他にたくさんあるので、呼吸法に非常に重点を置く指導にはあまり賛成できない。また、自分には充分と思われる範囲で体得できれば、それ以上「極める」必要もない。

私は、C氏とまったく異なる見解を持っています。

C氏: 問題がない状態の時には(呼吸法について)考える必要がない。

黒坂:いかなるときでも呼吸法を管楽器上達の最重要課題と認識することが有効である。

C氏: 常に考えるべきことは他にたくさんあるので、呼吸法に非常に重点を置く指導は賛成できない。

黒坂:たくさんある「考えるべきこと」のそれぞれを呼吸法と関連付けてトレーニングすべきである。管楽器は呼気においてのみ音がなるのだから。

C氏: 自分に充分と思われる範囲で体得できれば、それ以上「極める」必要もない。

黒坂:どこまでも緻密に観察を重ねて呼吸法を精練してゆくべし。それは芸術家としての全人的な成長につながりうる。

<対症療法と自然治癒力>

C氏と私の意見が異なるのは、方法論の違いというより、むしろ視点の相違から来るものだと思われます。西洋医学と東洋医学における身体観の違いと似ているかもしれません。

西洋医学の病気治療は「対症療法」が主といわれます。痛みがあればその痛みを取り除き、熱が出れば熱を下げる。症状を緩和することに主目的があるわけです。

一方、東洋医学(アーユルヴェーダや中医学)は、症状そのものよりも、それを生み出した原因の除去を主眼としているようです。したがって、病気を直すのではなくて、身体全体の健康レベルを上げることで、自然治癒力を引き出そうというアプローチを取ります。

C氏のように、呼吸法を「問題点が出たときのチェックポイント」として利用するのは、西洋医学的対症療法に近いでしょう。C氏から見れば「呼吸法に非常に重点を置く指導」は、「病気でもないのに薬を飲み続ける」のに近い印象かもかもしれません。

私の提唱する「すべての練習の中心に呼気制御を」という方法は、いってみれば予防医学というか体質改善というか、どちらかといえば東洋的なアプローチだと思います。習得に時間はかかるかもしれないけれど、演奏家それ自体を徐々に変えていこうとする修練方法です。

<上達とはなにか>

※参考文献「運動科学研究所編:スポーツ・武道のやさしい上達科学 恵雅堂出版」

運動科学の中に「構造運動学」という分野があります。これは、ひらたくいえば、運動と運動の関係を解き明かす学問です。「上達」という観点から見た場合、運動間に存在する関係は以下のように表すことができます。

  1. 完成化
    1. 馴成化:慣れる、再現性が高くなる、固定化する。
    2. 精巧化:威力を増す、円滑になる、制御できる。
  2. 発展化
    1. 統合化:XしてからYする、XしながらYする、など。
    2. 応用化:Xを応用してYする、など。

C氏に代表される多くの管楽器奏者にとって、呼吸法は数あるトレーニング・メニューのひとつとしかとらえられていません。

他方、私のやり方は、楽器上達における「馴成化」「精巧化」「統合化」「応用化」のすべてに呼吸法を利用しようとするもの。

つまり「考えるべきことは他にたくさんある」のは認めつつ、それらを根底から支えるための道具として、呼吸法を徹底活用しようと提言しているのです。

また、C氏によれば「問題がない状態の時には(呼吸法について)考える必要がない」とのことですが、呼吸法が認識力を高めるトレーニングたりうることを思えば、「問題がない状態」かどうかをより高いレベルから判定する能力の開発に、呼吸法は役立つといえるでしょう。

結局、演奏者・指導者が、「上達」をどの次元で考えるかによって、呼吸法の役割に対する認識は変わってくる、ということのようです。