管楽器奏法において呼吸が重要なことはいうまでもありません。けれども、世の中にはいろんな意見があって、互いに矛盾するようなメソッドも存在します。
たとえば、一般には腹式呼吸がよいとされていますが、クラウド・ゴードンの教則本には延々と腹式呼吸批判が展開されている。某音楽雑誌でも「腹式呼吸法の嘘」という刺激的な特集が組まれたことがあります。
相矛盾するメソッドは、一方が正しくて他方が間違っているのか。あるいはその矛盾は表面的なものであって、本質的には共通するものなのか。
私は、個人的な興味から、古今東西の呼吸法に関する文 献を集め、この10年ほど学習・実践してきました。それらの呼吸法は、武道・武術、舞踊、気功、ヨーガから、スポーツ、各種芸道、健康法、美容法、願望実現のためのものまで多種多様です。
また、きちんとした指導者のもとでトレーニングを積むために、西野流呼吸法の道場へ5年間通いました。これらの呼吸法学習から、管楽器奏者の呼吸はどうあるべきかを考え直してみたわけです。
ある音楽雑誌で、トランペット奏者A氏とトロンボーン奏者B氏とが、呼吸法についてこんな対談をしておられました(いずれも日本のクラシック系奏者)。
A氏 「呼吸法について僕は基本的に何も考えません。吹きやすかったらええやないかと、人間、生まれた時から息してますからね」
B氏 「あっ、それ、僕の呼吸法の公開講座用の説明文と同じ(笑)。だれでもオギャーと生まれてからずっと休まず続けてきたことなので、必要以上にむずかしく考える必要はありません、と」
この対談は誤解を招くかもしれません。「慣れている動作」イコール「上手にできる動作」という錯覚を導くおそれがありそうです。
また、ここで明らかにしたいのは、B氏が「必要以上に」というときの「必要」の中身です。私たちは、呼吸に何をどの程度まで求めているのでしょうか。
そもそも呼吸とはどういう現象なのでしょう。鼻にとっての呼吸は空気の出入り。肺にとっての呼吸は酸素と二酸化炭素のガス交換。細胞にとっての呼吸は栄養分と老廃物の交換(新陳代謝)。ミトコンドリアにとっての呼吸はエネルギー変換という意味を持ちます。
呼吸を整えることで、自律神経に対して働きかけることができ、呼吸の仕方を工夫することで内臓をマッサージできる。呼吸の変動にともなって、血液はその圧・流れ・物質特性が変化します。このように、呼吸はどの次元で見るかによって、さまざまな顔を持つのです。
先の対談で話題にされているのは、おもに空気の出入りについてだけでしょう。つまり、「いかにたくさんの空気を吸うか」そして「それをどうのように使うか」。この二点について「必要」を満たせば、あとは考えなくてもよい、という意味のようです。
フランスにジャック・マイヨールという素潜りの達人がいました。ブラジルにヒクソン・グレイシーという生涯無敗の格闘家がいます。アメリカには、アンドリュー・ワイルという自然療法で著名な医師がいますし、「メンタルタフネス」で広く知られるジム・レーヤーというスポーツ心理学者もいます。
これらの人物には、ひとつの共通点があります。それは、みなヨーガの呼吸法を深く研究し、実践し、心身をコントロールしようと試みている点です。そして彼らは、呼吸を単なる空気の出し入れとは考えていないことでも共通しています。
ヨーガには少なく見積もっても数十種類、数え方によっては数千種の呼吸法が存在します。また、東洋では古くから、神道・修験道・密教・禅などの宗教行法、日本武道・中国武術などの格闘技、書道・華道・茶道など各種の芸道、気功・舞踊・水泳・民謡、さらには養生法・能力開発法にいたるまで、ありとあらゆる分野で、呼吸法を重要視してきました。
これらは、はたして空気の出入りだけを対象としたものでしょうか。答えは、あきらかに否です。しかるに、なぜ管楽器奏者は、呼吸をただの空気の出し入れとしてしか認識しないのでしょうか。
呼吸法の「空気の出し入れを越える部分」については、後にあらためて触れるとして、まずは以下の5つの呼吸法を観察し、その相違点と共通点を整理することから始めましょう。