ー 私 ー

 
 私はかの東京オリンピックの年に、この世に生まれるごく普通の6人家族の元で育つものの、私は自分が普通ではないことに気づいたのが5才ぐらいの時でした。
もの心ついた時には、既に「自分が生まれ変わるのも
これで最後」であることを知っていたし、断片的ではあるが前世の記憶も残っていました。なぜそうなのか、その違いを人に話すことはなかったが、ある日のこと、母に連れ立って姉と3人で母親の実家に行った時のこと。さほど大きくもなく普通の家ではあるが、一歩中に入って驚いたのは、天井近くまである大きな仏像が置いてあったのです。左右に少し小ぶりの仏が2体あり千羽鶴がいっぱいぶら下がっていました。

母曰く、「祖母は神仏と会話が出来る人で、昔はおがみやみたいなことをしていた」と言うのです。母は、早速祖母に「あつこ(姉)の将来を見てほしい」と頼むやいなや祖母は神仏に向かい、何やらうかがいをたてていました。私は何をする訳でもなく、ポッねんと横に座っていたのですが、姉の将来のビジョンが次から次へと頭の中に飛び込んで来たのです。

姉が幾つで結婚し、子供は何人できて、やがて離婚すること。そして、死までも・・・わずか5秒程の一瞬の間に、人の一生の情報が入って来たのです。祖母が神仏との対話を終えて振り向いたのが10分後。ポツリ、ポツリと姉の将来を語り出すのと同時に、私の口からも語り出していたのです。内容はほぼ同じでした。

ちがうのは、祖母は神仏から聞いて知ったのに対し、私は誰に聞いたという訳ではないが、入って来たことである。しかも、わずか5秒のことである。祖母は、不思議そうに私を凝視していたが、次に私の将来をみるため神仏に向き直し、何やらおがんでいたと思うやいなや、突然頭を畳みに打ちつけて謝っているのです。「ごめんしとくれやす」「もう二度と見ません」と。聞くところによると、神から「典大(私)の将来は見るな、見つくせない」と叱られたそうです。のちに、「あんな恐ろしい思いは、二度としたくない」と言われたものです。

以来私は、人とはちがう「何か」をいつもたえずもちながら、それを表に出さず、自ら封印し時を待つことにしました。そして、その答えを得たのが25年後の30才の時、おのれが何者であるのかを知ったところで驚きはなかった。ただ、悠久のしくみの深さには脱帽した。

私は・・・私自身に・・




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