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≪ レイライン (no.9)≫

 

 

地球は、なぜ丸い。大小こそちがえど、月も日も星も皆丸い。
丸い地球が自ら和と回って自転しながら、太陽の回りを公転する。
太陽系のしくみも銀河の渦も丸い。
大宇宙が丸い天球の形になぞらえるのも又、自然なり。

仏教には輪廻転生のことわりがある。この世とあの世も又、和とつながっているのである。
その様を密教では、胎蔵界と呼ぶ。

母胎の胎児は、その縮図である。

ぐるぐる回ってやがて、この世に生まれる。密教では、これを金剛界という。
人が仏になり、仏の和の業をうちやぶり、外に出ることが金剛界である。

佛の弗を明主様は、ドル(弗)と示しています。
和も円も$(ドル)も皆、お金に深く係わっている証拠に、弗(ドル)は弓と2の矢と示すが、¥も又、二のY(矢)である。

矢が 2 ということで、「88」の米、石、酒、星、茶。
そして、それらは鳴門の渦に全てつながるという訳である。


そこで、私は考えたのです。鳴門と矢の関係を・・・。
鳴門は、鳥の口と書かせる。
一方、矢というのも又、鳥の羽を付けて飛ばす。

最後の審判と重要な繋がりをもつ大王崎の近くには、その鳥羽があり、的矢があり、矢持がある。
つまり、鳥羽、大王が矢尻の型ならば、尾張のアツミとチタは矢尻をつかんで弓ひく二指の型になる。
故に、尾と弓が長いと示す、(矢作川もある)

さすれば、矢の先端はどこにあるのか、これが明主(名酒)とどう繋がるのか。

明主様の前世が、聖徳太子であることは周知のとおり。
その聖徳は奈良の斑鳩であり、大和であり、飛鳥である。

思えば、この鳥はどこへ飛ぶのか。
なぜ大と和でヤマトと呼ぶのか。

王と王を文(あや)るのは、なぜ鳩なのか。

一つ一つ解き崩していくと、なぜ奈良が大を示す ゝ の艮(うしとら)なのかも理解出来る。
牛は九州、虎は四国で ゝ (阿蘇1592−1)を和から表に出す為であると・・・。

そうすると、山つながりで奈良の重要な山をさがすと、かの有名な大和三山が浮かぶ。
三角形の大和三山を結んでライン上を見ると、三輪山に突き当たる。

しかも、矢の形となりて・・・(図1)     

                                            
三輪山は大神神社(元、三輪神社)の本体である。
大神神社は2000年の歴史をもち、日本でも最も古い神社の一つである。
ここは酒林が有名で、酒林は杉の葉(88)で球体を造る。(酒屋の屋根にある杉玉のこと)

また、三つの輪(和)には、大輪(年)中輪(月)小輪(日)の意があり、まさに“光陰矢の如し”時を表す和となる。

故に、三つの大、中、小の輪(和)を重ねてみると、 (的)になる。

だから飛ぶ鳥(矢)であり、大和(矢的)なのです。

しかも、大神だけに大の和。大を示すから 奈。

HPを真によく理解出来ている者には、この鳥(矢)がどこへ飛ぶのか、もう分かったであろう…(笑)

因みに、ある経綸を発動させると、耳成山は明主の命日。
天香具山は、太子の命日。
その中心は、シャカの命日になり、畝傍山はシャカの誕生日を示す数字が封印してあるのです。

そして、三輪山は…私の命日です。

さて、矢が発動されると、三重、奈良、和歌山の下アゴが動く。

それは、竜が物質文化の汚濁を呑み込む型であり、和の業を解く型でもある訳です。
そして、大地をゆらす地震でもあると同時に、和というシメ縄(753)で封じて来た審判の神、国常立の復活でもある。

仏教には次の伝承がある。
「土を掘ると、名誉、名声、お金など様々出て来るが、それらは全て捨てよ」と説いています。
そして、「最後に竜が出るが、それは捨てるな」と。

仏教は、インドから日本に渡って来た教えであるが、元々は日本の神が先であると明主様は明かしています。一石の波紋がインドに当たって戻って来た訳であるから、「土」とは日本の国土の事である。
加えて今年は、ロンドンでオリンピックがある。
つまり、竜(ロン)呑(ドン)の型なり。

矢が的に当たると、“ドン”(呑)と太鼓が鳴る。太鼓は2本のバチ(88)で打つ(・・)。バチは罰。
88カ所霊場を回ることを“打つ”と呼ばせていることも、あい通じるものがある。
ついでに太鼓の模様についても解説しておくと、三巴、二巴、一巴がある。

三巴は、6の字が3つで 666。
二巴は、陰と陽。
一巴は、太極、一人という事。

巴は、互いに尾を咬み合う獣の形。ゆえに 666。

尾を咬んで割ることで、尾張(最後)の経綸が成就するという訳である。
渦の中心に、たどりつく為には、二巴(善悪)の争いでは無理なのです。

最後は、自分自身であると解き示さぬ限りは・・・。

 


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