・・・・・明主様が一介の信者に神懸かり・・・・・

                                                  
                     

〔其の9〕

明主様:「水の竜神が泣いておる」

 私  :「水の・・・竜神?」

明主様:「地震を起こすのは地竜であるが、汚濁を鳴門に流す役が水竜であり、竜神の
      王は天竜である。この竜神を解けば、審判の経綸も読める しくみ」


 私  :「天竜・・・?」


 (明主様は、「567」をミロクと解いた。5男3女は八大竜王(8)であり、5と3で伊都能売金竜になり九頭竜(9)
 は、99厘の役ありて、 その尾は北方四島と教えられました。(1234)


 そこに竜の王である、天(テン=10)竜を読み解くと、「ふみよいむなやこ」があいそろい、初めの と 終
 りの を合わせて 「」と示せるのです。


 即ち、人は上がれば の「十=神」にもなれば、下がれば四本足の獣にもなるのであります。

 明主様の神示どうり、鳴門に10年いることで得られた竜神の経綸である。
                   

      “上は下 下は上をと ささえ合い ともにたおれぬ 姿こそ人”  光紫庵 
                            


〔其の10〕

人が病気になるのは、気の使い方に誤りがあり、元気になるとはその気が元に戻ること。天にも天気という気があり、晴れたり曇ったりするのも人心に曇りがあるが故で、中にも憎しみ、ねたみ、争いの気心は暗雲をつくる。即ちこれが雷雲である。

明石に大橋あり、鳴門の渦上にも鳴門大橋がある。橋の字を見てもわかるとおり、桐(キリ=十)を呑むと書かせる。

竜神が汚濁(曇)を呑むと、“呑”だけに「ドン」と太鼓も鳴る。つまり雷に太鼓はつきもので、バチが当るという訳だが・・・

よって、その身に曇りがある程、バチ(罰)もきつく当るのは当然と心得るべし。

ここで最後の審判の神、国常立について解説してみると、上記のとおり竜神とは、神の本体の(国常立)の化身であるから、全ての理由(竜)が分かれば、元の神格に戻るしくみである。そもそも国常立が押し込められたという「艮」とはどこか?という点だが、日本の艮(東北)の極が、千島(北方四島)に当り、坤(南西)の極が琉球になる。

その北方四島の中心に印を入れ、沖縄の中心(沖縄本島から一番端の与那国の中心)にも印を入れて、ナナメに一本の線(ヒモ)をひくと、ちょうど琵琶湖が日本国の中心になる。つまり、鬼門の極に国後島の国あり、裏鬼門の極にも与那国の国で、常に国と国がナナメの線で立っているので、国常立と呼ばせるのが答えである。

 

琵琶湖が中心だけに、国常立の“へそ”になり、ナナメに立つのは機嫌が悪いからで御機嫌ナナメ(77目)という。

“雷が鳴ったらへそを隠せ”というならいも、“へそ”というのは、人間の原点を意味します。

胎内(胎蔵界)にいる間は、唯一へそが命をつなぐので、調子に乗っておったら、“へそを取る”(命をめし取る)という訳である。

何となれば、まだ人類は誰一人として、胎蔵界から表に出ていないのであるから、神(大人)から観たら、人はみな子供(少年)。

 故に大人の裁きは裁判といい、子供(少年)の裁きを審判というのも、最後の審判のゆえんがここにある。

因みに、千島列島(北方四島)の「千」と、琉球(利休)の「利休」をつなぐと、「千利休」となるのも合わせ示しおく。

本来、宗教の宗とは「つなぐ」という意味がある。全てはつながっていることを教えるのが宗教である。

もう一度、其の1~10までをつないで読んでみて下さい。その教え(水=本地垂迹)で手を洗うもよし、足元に倒れるもよし。 

 

     「清らかに 流るる川も 荒川も 全て呑み込む 大海の渦」  (光紫庵)



『上記のとおり 「明主様が一介の信者に」とタイトルをつけて、其の1から10までを一区切りとしてして公開致しましたが、これは明主様の経綸の片鱗にすぎません。今後は、更に具体的に公開するとともに検証も加えて進めたいと思いますので、楽しみにしていて下さい。』




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