・・・・・明主様が一介の信者に神懸かり・・・・・



[其の7]

 明主様の「全ては必然なのじゃ」という言葉どうり、神懸りがあった同じ年の77日、つまりH7年7月7日に、たまたま乗り合わせていた車の走行メーターが、77,777kを示していたのです。そこでちょうど700mのところで車を止めようという話になったのですが、700mの位置に来ても止められる場所がなく、いくらか越えてしまったのです。

 しばらく走ったところで、ようやく車1台分がギリギリ止められる路肩があったので、車を止めたところ、何とその時刻までが77分という奇跡が重なっていたのです。そこで、後日700mを越えた所から車を止めた正確な位置を測ると、これもピッタリ77mだったのです。

 私はどういう訳か、この「7」という数に縁があるようで、京都聖地も土の「7」で、シャカに関係しており(御教え)、私がはじめて明主様と会話を交わしたのも、48日(シャカの誕生日)でしたのも、今思えば偶然ではなかったようです。

 思えば人の世の善悪というのも、全て必然としての理由があるならば、互いに憎しみ合うのではなく、許し合うことこそが、「善悪結んで伊都能売」の御教えにかなうのだと感じた次第です。

 因みに、審判の神とされる国常立尊も、実は「7」に深く関係しているのですが、彼がシメ縄(753)により艮に封じられていることも合わせて別の段で話します。



[其の8]

.......私 :「祝詞にある“筑紫の日向”と言えば、九州のよう
      ですが、“小戸の阿波岐原”は四国の“阿波”の
      ように感じますが・・・」

明主様:「確かに徳島の阿波のことで、小戸は鳴門を指す」

.......私 :「なぜ小さな戸が鳴門になるのですか?」

明主様:「渦を見てみよ」

.......私 :「・・・成程。(渦の性質が外から内へ内へと小さく巻いていることに気付いたの
      です)」

.......私 :「そうしますと、イザナギ(御教えでは主神という表現がある)のミソギは鳴門と
      いうことになりますが・・・」

明主様:「四国は死国。ゆえに黄泉がえることで、ミソギの場となる」

.......私 :「左目を洗うとアマテラス(日).右目は月読(月)・・・。
      すると明主様は、主神の左目(日)と右目(月)ですね。(笑))

明主様:「(笑)しかし鼻がないので完成とは言えぬのじゃ・・・」

       (この時、昔正月に遊んだ“福笑い”を思い出していたら)

明主様:「讃岐うどんの語源は、“こんとん”(カオス)からで、こんとんもうどんも混ぜて
      固めるじゃろ。その時阿波岐原の「岐」(キ)をヌイたのでサヌキと呼ぶ」


.......私 :「・・・はぁ?」


明主様:「ずからコロがってとサヌキのの字を解けば「鼻」になるじゃ
       ろ。この謎解けるのはそなた一人です」

......私 :「・・・田も、タヌキと解けば徳島には金長狸の話が・・・(笑)。」

明主様:「・・・し~ん」

.......私 :「(汗)」

.......私 :「しかし、審判の神は国常立であってイザナギではない」

明主様:「鼻を解くことで最後の審判も読めるしくみ」

.......私 :「御教えでは、淡路島が竜ののどチンコ。渦は口と書いてあったが・・・」

明主様:「伊都能売金竜のいた琵琶湖が竜の左目。出雲が鼻。能登は竜のツノ。
      福井は竜の額になるので九頭竜川があり,尾は千島(北方四島)、竜の玉が
      沖縄になるので琉球という(琉=竜、球=玉)」


.......私 :「・・・」

明主様:「アゴ湾のある三重が言霊どうり、下アゴになり、口を「あ」の字の如く開けて
      おるから渦が起き、世界の汚濁が呑み込めるしくみ」

明主様:「いずれ一本のヒモでつながる・・・。そのヒモが国常立をシメておる」


(その時はサッパリ意味がわからなかったのですが、実際鳴門の渦に流れ込む汚濁を呑み込んでいたら終わりの地震と竜との因果関係がわかったのです。我々は全て日本という竜の大地の上に生かされている存在。地震とはその大地が揺れ動く現象であるから「震」の字に「辰」(竜)があるのだ・・・と。この竜が全ての汚濁を呑み終わった時、口を「ん」の字に閉じれば・・・。)


     
  
耳口の 王の徳あり 飛鳥の世 昭和ふた目(日、月)で 鼻示すのみ”(光紫庵)


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