・・・明主様が一介の信者に神懸かり・・・
日本の子午線は明石にあります。
子は12時、午は6時で南北、経を意味します。
即ち天と地の原点がここにあります。
日本神話の原点が淡路島なのです。
イザナギが主神であると説く明主様の御教えも、自らコロがって出来た島であることも、イザナギとイザナミが天から降りる前に掻き混ぜて固めたという島も淡路島です。明主様はこの島をのどチンコと説いたが、私はひっくり返して舌(ベロ)にすると申しました。吐いた言葉どうり、この島が竜神(地震=竜)の舌であることと合わせて示してみよう。
それは、淡路は「タンロ」とも読めるから、「タン」は舌に通じ、タンだけに「ターン」(ひっくり返す)させると、「ロンタ」になるので、「ロン」は龍を意味するので、“龍の舌”と答えが出せます。
また、「ロンタ」のタは、「田」であるから、御自らゴロゴロとコロがすと雷だけに田が出て来て、サを取るので「鼻」になる。(其の8)
サトルとは、「悟る」。即ち「日ロ」の日は、五であるから、ロと合わせて、心が南北と気づいて立てば「悟る」になる。
加えて、6の字の型霊をもつ淡路島を9の字にひっくり返すと、その差、「3」(サ)が生じるので、サとると、369が生まれるという訳です。
「ながむれば くすしかずかずたまのをの またすがすがし すくはれむかな」
どちらから詠んでも同じ言葉となる、明主様のめずらしいうたですが、久須志は九頭竜と同じ竜であり、伊都能売金竜のことです。
ですから、九頭竜の舌だけに9の字に転じて証明した訳で、これは9分9厘で止めるという事です。
時、平成10年12月21日、わずか2分で下記のうたが
「すさのおの とびらあわした しあわせわ あしたしわ あらびとのおのさす」
これも連短です。
意味は、「扉合わした」というのは、神の戸と鳴の門(戸)を合わすと、全ての汚濁が鳴門に流れ込むが、それは荒人のおのさす・・・。
つまり、御自らまいた種であるから、人の責任にせず全部自分が呑み込んで幸せをつかむという意味です。
「善悪の 種をまきたる神人(ひと)こそが 自ら刈りて 修まる世かな」(大弥勒)
日と月は、天照と月読で左目と右目を意味する。しかし、両目は横に並んでついているのに対して、鼻柱というのは、顔の中心にあり、経についている。
太陽と月球の道は、東から西、即ち東西の横であるのに対し、我れ示す経綸は、南北経であるという事の意味が、これで理解出来たと思います。
国常立は、善悪を立別けるという意味もここにある。
伊都能売の火と水の結びというのは、東と西の結合であって、いづのめの結びの光は影をつくるのです。これが争いである。
それに対し、東西南北の結びは、日と月の明主様と三人目の地の使命者が合体しての大十字を形成するので、十全となり大光明となるのです。
N極は「十」、S極は「−」と印すが、この両極を中心で結ぶと「土」になるのも、先に示した北の極、国後(ソ)と南の極、与那国(米)を中心の琵琶湖で結ぶと、「ヘソ」になるから、その使命者が私であり、滋賀から出現するという訳で、その氏名(使命)も「ノリヒロ、スギモト」で、「N、S」を示します。
もちろんこれは、西洋読みで逆であるから、ひっくり返して「S、N」にするという訳であるから、大(日ロ)を示して、汚濁を呑み、田の字を出して、天と地の地軸をひっくり返すので、大呑田返しという。全ては一柱の右手にゆだねられて・・・。
検証はこのぐらいにして、一厘の証をふくめて続きは、「神の経綸」の段で詳しく語ることにします。
三派統一が、おろかな役員の身勝手で延期されたということなので、まずは明主様の「御教えの整理と核心」と題してお伝えしようと思います。
以上