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「神の経綸」
ー大弥勒胎蔵界の経綸ー
一厘の種とメシアは別であることと、経綸の主体は大弥勒の神で、この神が経綸の中心であると説いた御教えがあることは、先に示したとおりです。
また、その大弥勒を平成6年6月6日に御奉斎したことの意義は、666の胎蔵界の型であるとも説きました。
この段では、それを証明するために大弥勒の経綸を追って示したいと思います。
まず基本として、もう一度三位の整理を示します。
「弥勒」とは、666、369、567、火水土、日月地、山海平、玉剣鏡、心肺胃のことごとくが同意であり、左目の天照大神、右目の月読命、鼻のスサノオも三者で三位(顔)であります。
また、5が応身弥勒、6が法身弥勒、7が報身弥勒となり、個々三者の弥勒が一体となると、その示す姿も大きくなるため、弥勒に大の字がつき大弥勒と呼ばせる訳だが、問題はそのプロセスにあるわけです。
いかに世界救世教の明主様と申せど、その原点に立ち戻れば大本教の信者からスタートしたということ。
「三千世界一度に開く梅の花 梅で開いて松でおさめる」という大本の教えに沿えば、「梅」とは大本教をさし示し、「松」とは世界救世教を意味するので、残すは「竹」の出現のみという訳です。
つまり、岡田茂吉は大本教を母体として出でたように、明主様腹中の主()もまた、世界救世教を母体として出づるのがものの道理と言う訳で、「三千世界」と示す如く、先の梅松の「二千」出づれば、残りの「竹」(の日の神)の「一千」あいそろえば、「松竹梅」の三千世界の三位となることから、梅松に竹を合わすので「答」も出せるというものであります。
それを証明するのが私であるから、日本のへそ、琵琶湖に竹が生まれると示す竹生島があるのです。そうして、三者三位をひもといて、はじめて「大千」示せる仕組みになっているので、世界救世教のみに汲々としても答えはなく、H6.6.6大弥勒胎蔵界の出口も見える道理はないのです。
出口は、世界救世教の原点である、大本教(出口姓)と経綸上つながることに大弥勒の神意があった訳です。
そうしますと、大本の出現を5、世界救世教が6、明主様腹中の主が7となりますが、明主様自身二度目の岩戸開きを成されており、「日」でもあるので、大本5=日、明主様=日、そして3人目の日の神の出現で、日が三つ重なることと、胎蔵の型666(水)を合わせるので、「水晶」が完成するという訳です。
では実際、三者を束ねる大弥勒の経綸を示してみると、H6年6月6日は、666の胎蔵界の型で、これは三人目の出現者がまだ表に現われていないから、666と型が出た訳であって、岩戸が開くと金剛界となります。
人の子も、母体の中では少しづつ大きくなって行く様に、この年より大弥勒も666から、567の経綸へと移行するので、
H6年とは、1994年で5(1+9+9+4)となり、日本の型。
H7年は、 1995年で6、ブラジル聖地。
H8年は、 1996年の7、タイの聖地が完成しています。
上記3年がかりで、「567」の型が出ていることは、周知のとおりです。
問題は、そこからの経綸については、誰一人として解いていませんが、H9年に現われた型をみると、この年に「太子2才合掌像」がおさめられました。
「太子」は、「574」年出生であるので、2才像とは「576」年であること。
つまり、H6、7、8年の3年で「567」の型を示しているということは、これは日食の型になるので、次のH9、10、11年の3年は、月食の型になるのではないかと考えたのです。
そうして型どおり、「576」の太子2才合掌像がおさめられたと言う訳ですが、この3年で世界人口も57億6千万人に達していることも型が合う訳です。
そこで、私は釈迦の言葉を日本語大辞典で調べ直したのです。すると、「56億7千万年」後に弥勒が下生することになっていたのが、厳密には「57億6千万年」後と示されていたのです。
それに、「567」の胃が、「心肺胃」と端にあるのは不自然であることにも気づいたのです。横に胃が並んでいるのは、動物の並びであるため、人型どおり胃を中央に置き変えると、「心胃肺」となるので、「576」になります。
また、同様に左目のアマテラス(日)、右目の月読(月)、鼻のスサノオの並びも、「左目(日)、右目(月)、鼻」では、並びがおかしく、鼻というのは顔の中央にあるので、「日鼻月」(576)であるのが本当だと、すぐに気づくものです。
以上のとおり、「567」と「576」の関係とは、マクロとミクロを意味します。故に、「567」(ミロク)をひねると、「576」(ミクロ)になると言う訳で、鳴門の渦が何故に小へ小へ(ミクロ)と小さく渦を巻いて浄化できるのか、これで理解と説明がつくはずです。
しかし、これは呼吸と同じで、息を吐いてばかりでも吸うてばかりでも、ともに息詰まりが生じるので両型、仁王の「あ、うん」の呼吸が整えば、次の3年(H12、13、14年)の型が見えます。
その型とは、「675」である。
その理は、既に示した「心(5)、胃(7)、肺(6)」の型の並びは、人型どおり中央に胃を置き、心臓も左にあるが、この型を大観すれば、大弥勒の背中(後方)に当たるので表に向けると、向かって右に心臓がくるので、「肺(6)、胃(7)、心(5)」となります。
また、正面の顔についても、確かに鼻は中央にあるものだが、「左目(日)、鼻、右目(月)」の両目の並びは、向かって右、即ち左目が月になっているが、これは逆で、左目がアマテラス(日)が本当なので、「6(月)、7(鼻)、5(日)」が本来の顔であり、型の完成です。
そうすると、大本教の梅、世界救世教の松、明主様腹中の竹の主の順も出現どおり、「567」とすると、梅(5)、松(6)、竹(7)であるが、本来「松竹梅」が本当であるから、並び変えると、「松(6)、竹(7)、梅(5)」になるわけです。
青く光るこの地球も7割は海であり、全ての汚濁は鳴門の一点に流れつき、やがて汚濁は海の底(土)にたどりつきます。そして、最後は地熱(火)によって焼き尽くさるそのプロセスもまた、海(6)、土(7)、火(5)であります。
上記のとおり、大弥勒本体(人間)は、H6年6月6日の胎蔵界の型から、その想念において「567」「576」「675」の経綸を9年で終了させ、「胴」と「顔」を解きました。
また、次の3年(H17年)で明主様昇天50年、戦後60年、立教(70年)の567(ミロク)○○○(おおみ)の型が出ているものの、「神」がないのは、いかなる訳か示してみよう。(“みろくおおみかみ”が教団の呼び名であるから)
まず、大弥勒の手足の図柄をよく見ると、両手は指をからめて印を結び、足は蓮上に座している。つまり、蓮の花とは水の上に咲くものであるから、蓮の上に座っている間は、神ではなく、仏なのです。
故に、示す型も「666」とは、水であり、胎蔵とは水の中という意味です。(人間の胎内も羊水という)
そうすると、妊婦の腹は見えても、胎蔵の子は外から見えないのと同様、明主様の庵原の経綸(神人合一 )は見えても、腹中の日の神の経綸が読めないのも、日の神がまだ胎蔵の時期であったからです。
その胎蔵の型(666)も、567、576、675と経綸を経て、はじめて大弥勒の大の字がひもとけるという訳です。
「大」の字を人型で解いてみると、「」の部分が頭、 「」が左右の腕と手、「」は足となる。つまり大弥勒の結んだ両手の印と 水の蓮から足を解いてこそ 平の聖地にふさわしく その足も「土」につくというものです。
これで、胴と顔につづき、手足をひもとき大弥勒を土の上に立たせた訳だが、これを誕生といい、これより先は金剛界の経綸へと移行します。
以上