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≪ 一厘の証 Ⅰ≫



 世界救世教にとって核心的な神事は、次の2点である

1点目は、昭和5年午の年5月5日正午と、ゴが5つ重なった日に、主神から光の玉を受け取ったこと。

この玉は如意宝珠の玉で、過去、現在、未来のことごとく知ることが出来る神の神宝である。明主様はその玉にヒモが付いていて自らも「神にあやつられている」と御教えている事。

2点目は、昭和25年6月15日庵原(刑務所)において、その腹中光の玉に主神が入って神人合一(厳密には人神合一)になられた型が である。

が光の玉で ・ が主神になり、合わせて の形が日の字になる為、明主様は日の神と御教えている事。

 つまり、天から地上の明主様の腹中に光の玉を(なげ)()れた主神は、その手にヒモを持ち(なげ)た玉の中に今度は自ら入って の型を完成させたと言う訳であるから、明主様と主神(日の神)は、一本のヒモで繋がっていると言うことである。

 さすれば上記2点の昭和5年5月5日の光の玉と、昭和25年6月15日庵原の経綸もまた繋がっているのが本当である。

 その証明は、既に示した九つの井の字に桝引きされた光明神殿と三六九数霊盤の中にある。庵原とはまさに「井の原」に通じ、その中心(へそ)を示すキーは、「5の五」にあり、その数字は「41」となる。

 つまり、「5の五」を5月5日の光の玉と解せば、中心の「41」というのは、6月15日の の型になるので、型どおり5月5日から「41」日を数えると、ピッタリ6月15日の日の神の誕生と重なるという事。

 加えて、数霊盤の「1」と「81」の位置に将棋で示す王将が入るが、対極(局)にいれば争いとなる為、互いに歩み寄ることで仁王とも中心(へそ)の「41」の位置でつみ(・・)重ねたのです。

 争いではなく、まさに「あ、うん」(仁王門)の呼吸である。

 将棋では、「5の五」の中心で王を詰めることを「都詰め」というが、争わず仁王ともつみ(・・)重ねた者は、おそらく私が最初であり最後であろうと思うが、駒というのは「5角形」であるから、「」の中心「41」はになり、その位置に仁王の角が2つ重なるので、まさにゴが5つ揃うので、S日正の光の玉と証が立つ。

 しかも、 の中心「41」で「仁王」をつむ(・・)ことの神意を言霊と文霊で解き示してみると、「つ=」「む=」に通じるので、ことばどおり「二」と「ム」を上下につむ(・・)(積む)と「云」となる。

 また仁王を転じると、「オニ」になるので自らの「鬼」をつむ(・・)と「魂」となる神意がここにある。

 これも型どおり、仁王の数霊「1」と「81」の駒を上下でつみ重ねると、「181の魂」と答えが出る。



  一説、弥勒出現は56億7千万年後、兜率天(とそつてん)から下生する・・とあるが、都卒天とも書くことから、まさに都の中心を卒して、はじめて自らがミロクであることを説くものである。

「あ、うん」の仁王の文字は、「阿呍」と示すことから、阿形と呍形の仁王は文字も形も、口と口で繋がっていることになる。

 その位置は「5の五」の中心「41」である。

 数霊盤上「1」とは始まりであるから、その日を1月1日の元旦と位置づけて計算していくと、中心の「41」とは、明主様昇天の2月10日と型が出る。

 更にそこから567日目を数えると、8月31日の誕生になることは既に示したが、その位置も中心の「41」に重なり合うのです。

 しかも、水と水である。(笑)

 我と明主の仁王、どちらが欠けても解けぬ地上の181の神魂の証は証明した。

 






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