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 ≪独想≫ no.2


ここに「3」というものの尺度があるとする。そうすると中心は1.5である。これが「6」になると3になり、「9」になれば中心は4.5になる。

 宗教も同じである。大本教という時代の尺度は、世界救世教の尺度に合わず、世界救世教も又、第三の「9」という尺度で計ると、ものの概念や道理はズレ込むのである。それも又、真理なれば、何が正しくて何が違っているかなどという言こそが愚かである。

全体が見えてないだけである。山に登っている間は山の大きさは見えず、海を泳いでいる者に海の深さは分からないものです。大地に立っていても地球の大きさは分からないのである。

「地球は1つの星である」という事を真に認識するのには、宇宙から地球を見る以外ないのである。それは重力という世界を越えた先にしかない。

ともすれば「3」を学ぶためには3に入らねば身につかないが、「6」を学ぶためには「3」の重力を越えねばなりません。それは「9」も又しかり。

しかし、「3」や「6」のみに捉われるという事は、争いの重力からけして逃れられないのです。ちょうど水と油が混ざり合えない様に…。

ところが、重力を越えた宇宙空間では、水と油は混ざるのです。知っていましたか?

人と人とが争うことなく、手を携えて1つになる。これが本当の宗教の目的であり、神仏の願いである。人々を争いの重力から解放し、全ては1つなのだと示す視野。私はこれを「高定の視野」と名付けている。

仏教では、これを解脱という。陰と陽、善と悪とは融合し合えるのです。けして混ざり合えないと思っているのは、水と油が混ざり合えない原理と同様なり。混ざり合える事を知らないだけである。領域が狭いのである。思考が浅いのである。

にもかかわらず、己の教団こそ最高神であり絶対だと思い込んでいる信仰者が、真実をゆがめてしまうのである。

自分のところの教団こそ本当であり他は認めないというのは、水と油の関係。そこに主神(絶対神)を示す教えはない。なぜなら主神とは、はじめと終りを全てつなぐ者であり全ての存在なのだから、どこの教団にも存在しているのが本当で、どこか一つの教団のみに存在している訳ではない。

山も海も空も星も目に見えるものから、見えないものまで全てに存在している。その全てを繋いで、はじめて一体として見えるのが主神。

それらをのがき(申)だけでなく、示すことこそが本物である。




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