キリスト教 ひとくち Q&A 124-060403

質問:
  神を信じるのは、弱い人のすることで、意志の強い、まじめな人には、必要ないのではありませんか。?


答え:
  たしかに病気や障害、老いなどを負う、一見弱そうに見える人々のなかに、信仰をもった人がいることは事実です。しかし厳密に見れば、弱くない人間などいません。「自分はまじめで強い」と思う人は、自分の本当の姿を知らないか、偽っているのにすぎません。

  聖書に「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、食欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:20〜23)とありますが、もし、私たちがまじめに自分の心の中を観るならば、誰しも自分の罪深さに気づかされるはずです。そして真剣に生きようとすればするほど、自分の罪と弱さを知らずにはいられなくなることでしょう。
  更に、私達には「死」と言う避けられない究極的課題があります。若くて元気な時にはさほど意識しないかもしれませんが、病気になったり歳がいったりすると、ふと心をよぎる死への不安。その解決は、唯一、真の神だけがもっておられます。

  これらのことを考えると、悔いのない人生を歩む為にも、また、「死」と言う課題を乗り越えるためにも、本当は誰しも真の神を正しく信じる信仰が必要であると思います。


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