今月のメッセージ 141-090406
「祝福された老後のために、あなたの若い日に」

                                                               永山 進 牧師

  「私の人生何だったんだろう」。そこには人生の荒波を乗り切ってきた老人がいた。彼はいつも2階のテラスのロッキングチェア一に座り、沈み行く夕日を眺めながらつぶやいていた「もう何もやることがない、私の人生何だったんだろ」。

  当時私は24,5歳。サン・フランシスにある某大学の貧乏学生だったが「自分の人生、自分の力で何でも出来る」、と自信と野心に満ち溢れていた。しかしその私も早や還暦を迎えた。私の人生は若い時に思い描いたものとは全く違ったものとなっている。ちなみに「金持ちになる、有名になる、社会的な地位を得る」が若い時に抱いた野心だった。

  今でもふと、あの時の老人の姿が浮かぶ。彼はイタリアからの貧乏移民だった。からだ一つでブッチャー(肉の卸し業)で財を成し、シスコでも噂されるほどであったと自慢げに言っていた。それだけに「私の人生何だったんだろ」と言う彼の心境は当時の私には理解が出来なかった。「財を成し、人々からもてはやされる人生であったなら満足できるはずじゃないか」と思っていたからである。
しかし、今思わされることは、人間とは心の奥深いところに神秘な空洞を抱えている存在であるという事である。 パスカル(数学者、哲学者であり、後にクリスチャンとなった)は「人の心には神だけにしか埋めることの出来ない空洞がある」と言ったそうだが、まさにそうであろう。

  今から約3千年前のイスラエルにソロモンと言う王様がいた(3代目の王BC961〜922在位)。彼は満足を得る為に自分の地位と財に任せ、あらゆる事を試みた。まずあらゆる快楽をむさぼってみた。しかし残ったものは空しさだった。また様々な事業を起こし莫大な富を築いた。しかしこれも「金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。」(聖書、新改訳、伝道者の書5章:10節)と述べている。

  結局彼の行きついた結論は「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。」(聖書、新改訳、伝道者の書12章1節)であった。ここで言う創造者とは天地万物の創造者であり、また人間をも創造された神である。

  光陰矢の如し、と言われる。今から祝福された老後を迎えるために備えてゆきたいものである。あなたは如何でしょうか?


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