今月のメッセージ 136-080407
「幸福感」と「満足感」

                                                    きばう2008年2月号より

「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである」(マタイ4:3)

  「幸福感」と「満足感」は違います。
  どうも、多くの人たちは、この二つを混同しているように思います。

  ある写真家が、実際に暮らしている家庭に頼んで、その家をバックに引っ越しの時のように家の中にあるすべての持ち物を、その家の前に出して並べ、撮影しました。日本だけではなく、世界各国で同じように撮り続け、それらの作品を写真集にして出版したところ、大きな反響を呼びました。

  日本の家庭の写真は、どこにでもあるごく普通の家でしたし、持ち物も、タンス、テーブル、冷蔵庫といったものから、生活の小物まで私たちが持っているものと同じような家財道具がこんもりと前に並べられていました。
  しかし、たしか東南アジアの国だったと思いますが、家は茅葺きのような、いわゆる「あばらや」で、しかも、所有物と思われるようなものは、いくつかの器と、にわとりぐらいしかありません。ところが、そこに写って小る人たちの顔は、何とも幸せそうなのです。非常に印象に残りました。
  しかし、だからと言って、もし、彼らが日本に移住した場合、そのままの生活を続けられるでしょうか。おそらく、生活の格差を感じた時点で、その笑顔は失せるでしょう。

  満足感は、環境に左右されます。極端に言うと、何もなくても、周囲と変わりない生活をしていれば、ある程度の満足感がありますが劣っていると感じると、満足感を損なうのです。

  そこで問題になるのが、「満足感」と「幸福感」です。経済格差が激しいと言われている昨今は特に、今の生活にある程度満足していても、幸福感が足りないため、それを満たそうとして、勘違いをして「満足」のほうを求めてしまうのです。結果として、度を超えてしまい、貪欲になり、幸福を得るどころか、身の破滅を招いているのが現状です。

  求めるべきものは、物を増やすことによる「満足」ではなく、心を満たすことによる「幸福」です。

  心を豊かにしようとする人こそが、幸福を得るのです。その心の豊かさはどこで得ることができるでしょうか。人間を造られた、神を信じることによってもたらされるのです。



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