今月のメッセージ 130-070604
「穏やかな心」

                                                                  山地  明
  ある病院に23歳ぐらいの青年が、突然吐血をして運ばれてきました。これまで一度として胃の調子が悪いことなどなかったと言う、スポーツマンタイプの青年の男性でも洗面器一杯もの吐血をした胃には、2週間以内に出来たと思われる潰瘍が発見されました。病状が落ち着いた頃、主治医が青年に問いました、「君の潰瘍はまったく新しい。最近、特別に悩んでいるようなことはなかったのですか」。一瞬顔を歪めた彼は、「実は10日前の夕方、車を走らせていた時、突然何かがぶつかってきました。後ろを振り返ると、小さな男の子が泣き叫んでいました。仰天し、恐ろしさのあまり、その、まま逃げてしまったのです。それからはその子の泣き叫ぶ声が耳から離れず、ひき逃げと言う罪にさいなまれているのです」と話されました。

  その後、彼の両親がその子供を捜して訪ねたところ、幸い軽い怪我で、補償すべきことの一切を済ませたところ、青年の漢瘍は癒されました。

  病気のことを英語でディジーズと言います。これは「〜でない」という否定を表す「デス」という言葉と「安らか」という声味の「イーズ」という言葉の合成語です。その意味は「安らかでない」というのが英語の「病気」の語源です。

  日本語でも「気の病」と書きますが、洋の東西を問わず、病気には「心」が大きく関わっているのです。

  聖書は心と身体の密接な関係について多くを語っています。例えば箴言には「心の楽しみは良い薬である。たましいの憂いは骨を枯らす」、また「心地よい言葉は蜂蜜のように、魂に甘く、からだを健やかにする」「穏やかな心は身の命である」等々。

  穏やかな心、すなわち平安は、先ほどの青年のように、罪にさいなまれる心にはみられません。

  聖書に「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受けるj(箴言28:13)とあります。


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