今月のメッセージ 129-070129
「大寒の後の恵」

                                                                  永山 進牧師
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(新改訳聖書 詩篇119:71)「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました。しかし今は、あなたのことばを守ります。」詩篇119:67

歳を重ねるごとに、寒さの厳しいのは身に応えるようになるものです。この寒さがなければと思うこともあるでしょう。しかし、この寒さは自然界にとっては必要不可欠でもあります。樹木は冬の間は上に伸びず、また外にも太りません。
しかし、その間に下に根を張ります。春が来て上の伸びる準備をしているのです。また年輪も冬の間に出来、その木の質を堅くすると言われています。もし年輪がなかったら、木は簡単に風に折られてしまうそうです。更に、肌を刺す寒風は地中の害虫を殺し、来る年の豊作の準備をするのです。
同じように、私たちの人生にも大寒を思わせる試練のときがあります。しかしその事を通して、それまでとは違う祝福の道が開かれることも多々あります。
ある女性のことです。彼女のご主人は出張で留守がち。次々生まれるお子さんは病身。世話に疲れ果てた彼女はとうとう精神障害を起こし、無理心中と割腹自殺をはかりました。幸いにも一命はとりとめたものの、1年半の間苦しみ抜いたそうです。そんな時ある方から、「天と地を創造された真の神がそのひとり子、イエス・キリストをお与えになるほどにあなたを愛しておられますよ」と聞かされました。それは彼女にとって全く初めてのことでした。更に、「イエスさまは決してあなたをお見捨てになることはありませんよ」と教えられました。彼女は文字通り藁にでもすがるような思いでイエスさまに助けを求めました。すると次第に彼女の心に不思議なように、平安が宿るようになったそうです。以来、朝ごとに「今日もあなたの恵みと御力(みちから)によって私を生かして下さい」と祈るようになりました。その様にして、彼女はそれまでには全く想像もしない穏やかな日々を送れるようになったということです。
彼女の味わった大寒とも思える出来事が、今日の人生をもたらしたと言えるのではないでしょうか。
神の恵みはしばしば大寒のような試練を通して明らかにされるものです。


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