今月のメッセージ 126-060904
「明るい明日の為に」

[明るい明日の為に]
                                                               村上宣道牧師牧師

   ある人が、「老人の宝は『過去』であるが、若者の宝は『未来』にある」と言いました。そうかもしれませんね。ただし、全ての老人にとって過去が必ずしも宝でないと同様、全ての若者にとって「未来」がイコール宝であるわけではありません。「未来」は宝となる可能性を持っていると言うことでしょうね。過去はどうしようもないのに比べて、未来はどうにでもなると言う強みがあります。
  「未来がある」という言葉は魅力的ですが、これには罠もあります。スペイン語の〈マニアーナ=明日)という言葉は「明日がある。そうあわてることはない」という意味で使われるそうです。今日やるべきことに真剣に取り組まない気風を育てるとしたら、「未来がある」ということは人間を駄目にしてしまいます。そういう人に、実は未来はないのですね。いつまでたっても、「明日から禁煙」では困ります。
  「明日」を「明るい日」にするかどうかは、「今日」を真剣に、ごまかさないで、怠けないで、力いっぱい生きるかどうかにかかかっていると言えるでしょう。そのために「きのう」がでたらめであってはなりません。「明月」は「今日」の結果ですし、「今日」は「きのう」の連続ですからね。
「きのう」が暗くては明るい「明日」は期待できません。
  誰でも明るい未来を持ちたいものです。ですがそのためには「明るい過去」が必要です。そして残念ながら幼児を別にして、過去に一つも汚点を付けていないという人はありませんね。良心の曇りを拭き取って自分を省みるならば、数々の失敗や罪が思い出されるはずです。他人は知らなくても、自分の心は知っていますし、自分の心は忘れても、神様の目に隠れてはいません。その神様の前に素直な心になって、罪の赦しを求めますならば、神様は救い主イエス・キリストの十字架の償いの故に、私たちの過去の罪の全てを赦して下さるのです。そして、「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなった」と聖書にある通り、新しい明るい明日への希望を与えてくださるのです。
  神の前に罪の赦しを求め、新しくしていただきたいと言うこの決断を「今日」することが、「明日」を新しくするのです。
「今は恵みの時、今は救いの日です」(聖書コリント人への手紙第U6章2節)


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