今月のメッセージ 109-040705
「悲しむ者は幸い???」

「悲しむ者はさいわいです。その人は慰められるからです」                                             (マタイ5章4節)

 一般的には、「悲しみや苦しみに遭わず、ルンルン気分で過ごせる人こそ幸いな人だ」と言われたりします。私もかつてサンフランシスコでアメリカ人の家庭でハウスボーイをしていた時に思いました。「この人達は超リッチで、特別大きな苦労も無さそうだし、何でも好きな事が出来、行きたい所に行ける。何と幸せなんだろう」と。

 その様な感覚からすると、悲しんでいる者は不幸じやないかと思ってしまいます。
 では一体、イエスさまが言わんとされた「悲しむ者は幸いです」とは、どのような意味があるのでしょう。

 まず、私たちは自分の悲しみを通して、人の情け、思いやりを知り、慰められる事の大切さ素晴らしさを体験するのではないでしょうか。更に、時には、人の慰めも届かないという深い悲しみを経験することもあります。例えば愛する人を失った時。
その横な時にも、イエスさまは「私は、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きるのです。」(ヨハネ11章25節)と言う、力強い約束をもって、私達を慰めて下さいます。

 そして、私達が自分の罪深さを知って、悲しむ時こそ、イエスさまは本当の慰めを与えて下さるのです。それはご自身が私達の罪の全てを赦して下さるからです。

 今、アメリカのアクション俳優、メル・ギブソンが監督として製作した「パッション」と言う映画が話題となっています。その映画は、イエスさまが私達の罪の故にムチ打たれ、十字架につけられた苦しみ、及び復活を描いたと言われます。そこにこそ、私達全人類にとっての慰めがあるのです。


message040607へ 目次へ message040906へ