今月のメッセージ 91-020930 「見直そう、正しい宗教」 牧 師:永 山 進
「敗戦ですべてを失い、失ったものを取り返そうと、戦後の日本人は目に見えるものだけを追いかけて来た。その為に、人間の心や宇宙の生命のような、眼に見えないものへの想像力や畏敬の念を失ってしまったのです」とは瀬戸内寂聴師の弁。 確かに、日本のいたるところに神社仏閣は見られ、建造物としては過去の栄光を保ってはいるが、そのほとんどが冠婚葬祭のみで、社会的精神的影響力としては、はなはだ心もとない。今、宗教を冠婚葬祭専用として、あるいは弱者のものとして軽んじて来た、長い間のツケが、社会の歪みとして現れているのでは、と言う声が方々から聞こえる。 宗教は、本当に弱者のものだけなのだろうか?(もっとも、中には人々をだまし、社会的にも悪影響を与えている、えせ宗教、にせ宗教があるので、ご用心)。 前にも取り上げたが、NHKで「宗教への帰依」と言うドキュメンタリー番組が、数年前に放映された。それは、今、アメリカで、ビジネスで成功した多くの人々が宗教に帰依するようになっている、と言う内容であった。もう少し詳しく言うと、ビジネスで成功し、金持ちにはなったが、心の中に空しさを覚え、宗教に心の満足を見出そうとしている人々が多くなっていると言うのである。 一般的に見れば、彼らは決して弱い存在ではない。むしろ、能力もあり、努力家でもあり、ある意味では自分の力でビジネスを成功させたのであろう。 その番組を見ながら、私の心に、「人はパンのみで生きるのではない」と言う聖書の言葉が浮んで来た。確かに、私達にとって、パンに象徴されるお金や、名声、名誉も大切に違いない。しかし、パスカルも言うように、「人の心には神だけにしか埋めることの出来ない空洞がある」と言うのも、一つの真理である。 その大切なことを忘れて、今日までガムシャラに進んできた結果、殺伐とした世相になってしまったのではないだろうか。 元(?)東京大学の哲学博士、岸本氏が「まことの宗教とは、生と死について答えを与えるものでなければならない」と述べておられる。ぜひ正しい宗教により、充実した人生を送っていただきたい。