november 2005 |
s |
m |
t |
w |
t |
f |
s |
|
|
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
|
|
|
2005.11.30 (wed) 雪
雪の便りです。
先日、車のタイヤをスタッドレスに替えて、雪の備えも万全にしていたんです。だって、スタッドレスが無いと生きて行けない土地ですから、、、。
そうしたら、朝の出勤時、道路の掲示板に「この先滑り止め必要」の文字が、、、。思わず、行ってしまいました。途中曲がって、会社に向かわず、そのまま真っ直ぐ雪国へと、、、。
峠付近は、吹雪模様で、木々が薄っすらと雪化粧をしていました。でも、30分で引き返したんですよ、フレックス出社時間に間に合うように、、、。微妙な時期、こんな事で首にされたくありませんから、、、。ただ、無性に雪を見たかった、ただそれだけです。
あちらの家から、板も持ってきて、もう、スキーの備えは、出来ているんです。今シーズンこそ、meru モードでゲレンデデビューしたいと思っているんです。けど、それまで首がつながっていれば、良いんですけどね、、、。
そう、今日が、期限なんです。取締役が、髪を切るように言ってきた件の、、、。もちろん、切ってません。明日は、どうなるのか、、、。何時まで、首が繋がっていられるのか、、、。
2005.11.27 (sun) カレンダー
来年のカレンダーを、買ったんですけど、、、。
スティッチが、カワイイので、思わず購入してしまったんです。来年のカレンダー、、、。
そう、もう年の瀬、来年のカレンダーとか、扱ってる季節なんですね。
でも、カレンダー見ながら思ったんです。このカレンダー何処まで捲れるのかなって、、、。当然、カレンダーだから、来年の12月まであるのですけど、12月のスティッチに果たして、このお部屋で会えるのか、、、。普段、来年のカレンダーで、そんな事、思ったことも無いのに、、、。
2005.11.23 (wed) 切れない、、、
やっぱり、髪、切れない、、、。それが、今のわたしの結論、、、。
普通に、人生の事、家族の事を考えれば、ここは、髪を切って、普通の社会人として、お仕事を続けるのが、正しい選択なのでしょう。
でも、わたしは、極端に言えば、髪を切ってしまったら、わたしの人生も終わる、、、今は、そうなんです。髪を伸ばして、MTFを続ける事こそが、生きる支えなんです。それを止めてしまったら、生きている意味が無いんです。たとえ、髪を切った方が、安泰な人生がおくれるとしても、、、。
そして、こちらから会社を辞める事もしません。このままのスタイルで、わたしなりに、お仕事を続けるつもりです。多少、髪を切ったところで、会社は納得してくれないでしょう、バッサリ普通のスタイルにならない限り、、、。
今のスタイルのまま、お勤めを続けるという事は、工場長の言う、”干された”状態になるのでしょう。会社も、今すぐ辞めさせる事は、無いと思います。でも、近い将来、辞めざるおえない状況となるでしょう。それまでは、わたしなりのスタイルで、お勤めを続けたいと、思います。とても、格好の悪い、辞め方となると思います。でも、良いんです。既に、辞めるタイミングは、一度、過去に逸していますし、、、。今の生活の状態を、まだ続けていたいし、辞めた後の事を考える期間も必要です。また、今はまだ、お金も必要ですし、、、。
一回目の山場は、来月、取締役が、いらっしゃいますが、その時です。この取締役、今回のわたしの容姿の問題に関しては、キーマンなんです。直接、切れと、圧力をかけてきている方です。本当は、わたしの会社での将来の事を思って、言ってきて頂いているんですけど、、、。わたし、いまのこの会社での将来なんて、何の期待も希望も無いのです。
何で、男性は、女性のように、髪を伸ばして、お化粧をして、綺麗に着飾って、、、それが、許されないの、、、。そうしたいと思う、わたしの心が女性だから、、、それとも、それを許さない世の中が、間違っているの、、、。
何て、我がままで、自分勝手な、人間なの、わたしって、、、。家族の事も省みない、会社の上司の立場や、部下に対する影響も、考えない、、、全て、自分優先で、わたしって、とても嫌な人間、、、。最低な人間、、、。
社会的には男性で、でも、その服一枚下は、限りなく女性、、、それを目指してMTFを続けるうちに、服一枚では、隠し切れなくなって、、、。でも、今更、後戻りは出来なくて、、、戻ってしまったら、生きる意味がなくなってしまうところまで、来てしまっていて、、、。
女性のように生きて行きたい、、、それが許される世界なんて無いの、、、それが許される世界なんて期待できないの、、、。やはり来世に望みを託すしかないの、、、。
2005.11.19 (sat) 昔の家
幼稚園から小学校の頃まで住んでいた、杜の都にある団地を、訪れました。
思い出の団地は、まだそこにあるんです。また、来てしまいました、、、。一番楽しかったあの頃、、、ここには、楽しい思い出が詰まっているんです、、、。
小学校に向かう通学路、その木は、そこにあるんです。あの頃と同じように、、、。変わったしまったのは、わたし、、、。子供の頃に戻って、何もかもから開放されて、あの時のように、無邪気に遊びたい、、、叶うのなら、、、。
あのイチョウの木は、今もあの頃と同じように、沢山、銀杏を実らせていました。色づいた、イチョウの葉が、今のわたしには、ひどくまぶしく映りました。
落ち葉たちも、踏むのを躊躇うほど、その存在を誇示していて、、、。実を宿し、子孫を繋いで、最後の輝きを放ちながら、長い冬に備えて葉を落とし、来春の新緑の季節を、じっと耐えて待っている、、、。この木は、わたしの生まれる前からそれを繰り返し、わたしが朽ち果てても、それを続けるのでしょう、、、。
わたしは、輝く事もなく、長い冬を迎えて、果たして、新緑の季節は、訪れるのか、、、。
落ち葉のように、社会から切り離されても、輝いていたい、、、。そして、落ち葉と同じように、土に返っていく、、、。輝く、来春を夢見ながら、、、。
2005.11.17 (thu) 髪の事
工場長に、呼ばれました。
工場長から、来週までに髪を切るようにと、言われてしまいました。やはり、先日の研修以来、わたしの容姿が、会社の上層部で問題となっているようです。
何故、そんなに髪にこだわるのか、切々と聞かれ、会社に対して不満がある事を、打ち明けました。前の職場での事です。それ以来、わたしのやりたいスタイルで、仕事をしていると、、、。
会社や、工場長に迷惑をかけているなら、会社、辞めますとも、、、。工場長は、髪の事で、そこまで考えている事が、理解できなかったようです。やはり、会社に対する不満だけで、髪を伸ばして、切らないとダメなら辞めるとまで言うのは、理解できないのでしょうね。MTFの事を、話さないと、、、。でも、それは話すつもりはありませんでした。
結局、帰りに飲もうという事になりました。工場長と二人だけでの飲みです、、、。この日は、ボジョレーヌーボーの解禁日です。工場長の行きつけのスナックに連れて行かれ、ボジョレーを2本、空けさせられました。工場長、アルコール、ダメなんです、、、。全てわたしが、飲む羽目になりました。この日、スナックは満席でした。ママさんが、解禁日だから来てねと、メールを出しまくっていたようです。工場長も、その一人、、、。男の人って、何とバカなのでしょう。わたしには理解できませんでした。
飲んでも、結論は出ませんでした。わたしは、髪を切るつもりはなく、工場長は、そんな事で会社を辞めるなの一点張り、、、。うやむやのまま、というか、わたしは、ボジョレーの2本目から、意識がありませんでした。そう、2本目を空けてからの記憶が無いんです、、、。気が付いたら、ベットの上でした、、、。何を言ったのか、どうやって帰ったのか、、、分からないんです、、、。変な事、言ってなければ、良いのですけど、、、。
会社から、綺麗な虹が見えました。こんなに端から端までクッキリと見たのは、初めてのような気がします。会社を辞めるとまで言ってしまって、これからどうするか、昨日のアルコールと混じって、頭の中がモヤモヤしています。いずれにしても、わたしの会社での将来に、虹が出る事は無さそうです、、、。
2005.11.13 (sun) 杜の大学
杜の都にある大学を、訪れました。この大学、子供の頃、遊び場にしていた大学なんです。
杜の都は、すっかり秋色に染まっていました。落ち葉の絨毯の上を、お散歩するのが、気持ちよかった、、、。
この大学、古い建物が多いんです。子供の頃見ていたそんな古い建物が、とても印象深く記憶に残っているんです。さすがに、今は、近代的なものに立て替えられていましたが、その中で、まだありました、懐かしい建物が、、、。
子供の頃、まだ、杜の都に住んでいた時、こんな建物が多くある大学の敷地の中で、時にはその古く珍しい建物に入って、遊んでいました。子供ながらに、不思議な建物の中を探検するのが、とても楽しかった記憶があります。中にも、沢山、不思議なものが、あったような、、、。
今も、小さい子たちが、走り回っていました。そんな中、このような格好で歩いていた、わたしは、かなり浮いていたのかもしれません、、、。
そう、学生さんに、声をかけられてしまったんです、、、。meru モードで声をかけられたのって、初めてだったから、緊張してしまって、、、。そしたら、研究サークルへの、お誘いでした。それも、「なぜ生きるか」という研究サークルでした。そのときは、声も出せず、会釈で、お断りしたのですけど、、、。
何故、わたしに声をかけたのでしょうか、、、。ただ単に、構内を歩いている人に声をかけていた、それなら、学生に見えていたのかしら、、、。それとも、研究材料を探していたら、たまたま、わたしが通りすがった、、、そう、わたしなら、こんな格好で歩き回って、何故生きているのかを研究するには、いい研究材料だったでしょうね、、、。
その学生さん、かなり恥かしそうに、声をかけてくれたのですけど、、、今にして思えば、OKしておけば良かったと、思います。学生さんと、お近づきに成れたかも知れないし、、、それに、わたしも、何故、わたしが生きているのか、研究して欲しかったし、、、。また、誘ってくれないかな、、、。
2005.11.12 (sat) アニバーサリー
9日遅れのアニバーサリーを、お祝いしました。
meru の1年目の記念に、ケーキを買って、ローソクを1本立てて、一人ひっそりと、お祝いしました。
おクスリを始めて、1年、、、1年前のわたしには、想像もつかない、わたしが、ここにいます。おクスリ、体の変化だけでは、ないんですね。
心の変化、、、わたしは大丈夫なんて、思っていたけど、ダメですね、、、今にも切れてしまいそうな、わたしがここにいます。
環境の変化、、、おクスリで、何で環境まで変わってしまうのでしょう、、、。お仕事の移動、そして引越し、、、一人暮らしが始まりました。生活の自由度も増えて、MTF的には、充実した日々が送れるようになりました。でも、お仕事でのプレッシャーは更に強くなり、、、今の生活が、いつまで続けられるか、微妙な状況となっています、、、。家族との関係も、更に、離れてしまったような、、、。
おクスリで、心の変化、さらに、生活環境がここまで変化するとは、正直、思いませんでした。1年後のわたしは、どうなっているのだろう、、、想像もつきません、、、。今のこの生活が、続けられていれば、良いのですけど、、、。
来年も、もし、わたしがあって、アニバーサリーを迎えられたのなら、、、そしたら、一人ではなく、わたしを理解してもらえる誰かと、お祝いしたいです、、、叶うのならば、、、。
2005.11.09 (wed) 「その日のまえに」
永遠なんて、ありえない、、、。そう、死は、突然やって来て、呆気なく人の命を奪って行きます、、、。
先週、あちらの家に行っている間、予てから気になっていた、重松清さんの「その日のまえに」を読みました。この本の中では、永遠と思われていた幸せの日々が、ある日突然やって来る余命告知で、終止符が打たれてしまいます。その日が来るまでの、愛する家族との葛藤、やがて迎えるその日、そして、その日の後、残された家族にやって来る、冷酷なまでに普段と変わらない日常、、、。家族に愛された人たちの命が、次々に奪われていく、、、。
神様は、何と冷酷な選択をするのでしょう、、、生への執着を強く持った人たちの命を、呆気なく奪ってしまう、、、。世の中、わたしのように、生への執着も無く、それが神の選択なら喜んで命を捧げる人間もいるのに、、、。
永遠なんて、ありえません。もし仮に、永遠と思えることがあるなら、それはたまたま、終わりが訪れていないだけ、、、明日にも何の前触れも無く、終わりが訪れるかも知れません。わたしの父も、あんなに元気だったのに、突然3ヶ月の余命宣告を受け、その通り亡くなりました。終わりは、呆気なく、突然に訪れます。
わたしのここでの生活も、もうすぐ終わりそうな気がします、、、。今日、工場長から、わたしの容姿について、先日の研修から、会社上層部で、かなりマズイ状況になっている事を告げられました。
今やれる事は、いま、、、残された時間は、あまり長くないかも知れません、、、。
2005.11.08 (tue) 絆
ようやく、こちらの家に帰って来ました。こちらの駅のホームに降り立った時、とても寒かったのは、東北地方の凍てついた空気のせいだけでは、ありませんでした、、、。
行きの新幹線では、スティッチとラブラブで、楽しかったのですが、、、。
家族の絆って、何でしょう、、、。一人暮らしの寂しさから逃れるのに、暖かい家庭を築きたかった、、、。そもそも、そこから誤っていたのですね、、、。暖かい絆で結ばれた家庭を築きたかった、、、過ちの上に築いた絆なんて、脆いものです。子供の泣き叫ぶ声、ヒステリックな妻の子供を叱る声、、、それらは、わたしの心を引き裂くような悲しみだったのに、やがて、何も感じなくなり、心の中は、虚無感で満ちていく、、、。抑え切れなかった、MTFへの思い、、、それが湧き出すのは時間の問題だったんです。
今回、家族の家に帰って、痛切に感じました。みんなバラバラの方を向いている家族、、、。自分の子より、地域活動、PTA活動に熱心な母親、兄弟喧嘩の絶えない姉妹、そして身勝手な父親、、、。一度も、共に食事をした暖かい食卓は、実現しませんでした。仕事の都合で、約1週間あちらの家にいたのですが、そこに、わたしの居場所は、ありませんでした。癒される事のない家庭、、、家族の絆って、何だったんでしょう、、、。
全ては、身勝手な、わたしの責任、、、それは分かっているんです、、、でも、、、やはり、わたしが悪いのですね、、、。でも、今でも妻を愛しているし、子供たちも愛おしい、、、だからこそ、悲しいんです、癒されない家庭に、絆の無くなってしまった家庭に、、、。
ごめんなさい、、、ひどい日記ですね、、、。メールのお返事も、遅れています、、、ごめんなさい、、、。
研修の方は、会社の人事部の部長から社長まで、いらしていました。わたしの容姿について、かなり悪評だったようです。もう執行猶予も少なくなってきたようです、、、。
会社の研修でも、家庭でも、ボロボロのわたし、、、。何とか、立ち直らないと、、、いけないですね、、、。