初めての時代物、初めての長編小説です。松尾芭蕉と寿貞の愛を中心にして書いたものです。これは、私にとって本格的な小説を書く土台となった作品ですが、全体的に不徹底なところがあり、草稿の域を出ない作品です。
定年退職を記念して、これまで書いてきたものをまとめておこうと考えました。これまで、私は生身の自分を書くことを戒めてきました。自分という人間を書くことの羞恥に堪えがたかったからです。しかし、文学の究極は自己表現であり、登場する人物はさまざまな装いをはぎ取っていくと、結局は自分が出てきます。若いころ、私は自分の境涯は不幸だと考え、内面に堪えがたい恥部を抱えていました。その結果、常にコンプレックスにさいなまれていました。そのコンプレックスの根源は、自分に与えられた不条理な境涯だと考えていました。文学は、その不条理に抗する唯一の武器でした。ですから、その頃の私は、小説を書くことによって、かろうじて精神の均衡を図っていたというところがありました。小説に登場する人物は、何らかの不条理な条件を与えられています。彼らは、さまざまな生き方でそれと闘っていきます。ある者は挫折し、ある者は強い意志でそれを克服しようとします。思えば、この短編集は、私が30代から40代にかけて辿った人生の軌跡に他ならないのです。
「上巻市井の風」は、深川に隠棲するまでの芭蕉を書いています。「中巻漂泊の空」は、芭蕉が旅によって自らの生き方と文学の在り方を確めていく過程を書いています。「下巻夢幻の旅」は、旅を続けて自らの文学を完成していく過程を書いています。単に芭蕉の文学を描くのではなく、寿貞や桃印を巡る愛憎をも書き込んでいます。
この小説は、芭蕉と寿貞の愛を中心に書いた『行く春』を合わせ、芭蕉の文学と人生の全体に迫ろうとして書いたものです。可能な限り多くの資料に当り、できるだけ芭蕉が旅した実地を踏んで書きました。芭蕉の作品がどのようにして生れたのか、その過程を形象化すべく心がけましたので、この小説は、「芭蕉句の解釈」という一面もあります。
芭蕉を書き始めたのは51歳のときでした。それから14年をかけてこの小説を書きました。
芭蕉の実像
は知るべくもありません。しかし、この小説を書くことによって、芭蕉の実像に迫ることができたという実感があります。この小説の読者もまた芭蕉の実像を見たという実感を持たれるのではないかと思います。
紀行文は、『松尾芭蕉』を書くための取材旅行を書いたものです。芭蕉私論は、芭蕉を書きながら自分なりに考えた芭蕉論です。短編小説は、『松尾芭蕉』には書かなかった「象潟」の芭蕉を書いたものです。
そのほかに、『松尾芭蕉』を出版したときのことを書いたものが入っています。私の「芭蕉の旅」は、いつもドラマがありました。野宿をしたり、豪雨に見舞われたり、道に迷ったり、危いことも面白いこともたくさんありました。また、出版に至る過程もドラマチックでした。本作りも一つのドラマです。編集を担当してくださった角川学芸出版の青木氏はなかなか厳しくて、何度かめげそうになりました。しかし、作品を仕上げる過程も、本を作る過程も実に面白く、楽しいものでした。この小説を読めば、本がどのようにしてできあがるかという裏側の事情が見えてきます。</p>
『源氏物語』は、54帖からなりま。そのうち、44帖までは光源氏の生涯が描かれています。残りの10帖は、光源氏の子である薫と孫の匂宮が主人公となります。舞台が宇治になるので、宇治10帖と呼ばれます。この二人が、浮舟という一人の女性を愛するようになり、その結果浮舟は次第に窮地に追い込まれていきます。『源氏物語』の中で、この宇治十帖がずば抜けて面白く、私は文字通り寝食を忘れて読みました。
『源氏物語』を読んだのは、王朝物を書きたいという思いがあったからでした。ところが読んでいくうちに、ぜひ『源氏』を多くの人に読んでもらいたいという思いが強くなりました。すでに多くの源氏訳が出ています。しかし、多くの人は読み始めても途中で投げ出してしまいます。その理由はいろいろですが、一つは長いということがあります。もう一つは訳が難しいというのがあります。
そこで、宇10帖を現代語訳してみようと思い立ったわけです。これを自分の文体に載せて誰でも読めるように、しかし格調高く訳してみようと考えたわけです。宇治10帖は、光源氏の死後の物語ですが、一つのまとまりを持っておりますので、読後に十分読み切ったという達成感と大きな感動を味わうことができます。、
訳しながらも面白くてたまりませんでした1年くらいで訳せればいいと思っていたのですが、9カ月で訳し終えました。誰でも読めるように易しくしかし格調高く訳すことを心掛けたからです。ですから、この現代語訳は中学生でも読めると思います。現にある知人が、中学生の息子さんが一気にこれを読み切ったと話していました。これを読んだ人は一様に「面白かった」「読みやすかった」と言います。他の源氏訳を読んで途中で投げ出したというある知人は、楽に読み切ったと言っていました。
『源氏物語』は、日本が世界に誇る文学です。その世界を知らないことはあまりに惜しいと言わざるを得ません。あなたも、ぜひ源氏物語の世界を楽しんでみて味わってみてはいかがでしょうか。
2000年に「富士宮やきそば学会」が誕生しました。メンバーはG麺と名乗って町おこしをしていきます。それがメディアに乗って全国的にブレイクして、ご当地B級グルメが脚光を浴びていきます。その先頭を走っていったのが「富士宮やきそば学会」です。やがて全国各地にB級グルメで町おこしをする市民団体ができ、2006年に青森県八戸市で第1回B-1グランプリが開催されて「富士宮やきそば学会」がグランプリに輝きました。この小説はそこまでを書いています。その部分が、やきそば学会の活動の中でもっともドラマチックで面白いからです。
それには表と裏があります。表の動機の一つは、大好きな富士宮市を舞台にした小説を書きたいということです。そうすることによって第2の故郷に少しは恩返しができると考えたわけです。もう一つの表向きの動機は、自分が生きている時代と向き合うということです。これまで10年以上時代物を書いてきましたが、現実から目を逸らしているという後ろめたさがありました。今の時代を共有している人々と向き合って何か書いてみたいと思ったのです。では何を書けばいいのかいろいろ考えていると、突然、「富士宮やきそばを書け」という天の声が聞こえてきました。
裏の動機は、売れる本を書いてみたいということです。これまで何冊か本を出しましたがなかなか売れません。一本ぐらいヒットを打ちたいと、そう思ったわけです。ではどんなものを書けばいいのかとまたいろいろ考えていると、また声が聞こえてきました。「富士宮やきそばに便乗すればいいじゃん」とその声は言います。「そうすれば本はどんどん売れるし、映画にだってなるかもしれないじゃん」とその声は私を急き立てました。その声は天の声ではなくて自分の中から聞こえてきた声でした。
この度編集を担当してくださった「幻冬舎ルネッサンス」の編集者青木耕太郎氏は、「この小説は限りなくノンフィクションに近いフィクションだ」と評してくださいましたが、それがいちばん合っていると思います。細かいところではフィクションですが、全体としては事実に即して書いてあります。
「富士宮やきそば学会」の中心となった4人の方に、延べ30回ほど取材をしました。皆さん忙しい方ばかりなのに、約束の時間をいつもオーバーして迷惑をかけてしまいました。けれども4人の方は皆さんが快く協力してくださいました。そのおかげでこの小説が書けました。
「幻冬舎ルネッサンス」の編集者はとてもきびしい方でした。会話の書き方が悪いとか、書き方が粗いとか、この表現はおかしいとか、実に細大漏らさず吟味して注文をつけてくるのです。たとえば、最後のB−1グランプリの部分は、私は見ていないから書けないわけです。それにやきそば学会の映像記録をしたCDのコピーが、ちょうどその部分が不具合で見られなかったのです。仕方なく流して書きました。ところが青木氏は妥協しませんでした。ここは山場だからしっかり描くようにという注文をつけてきたのです。そこで、B−1グランプリに実際行った人に取材をして書きなおしました。すると、青木氏はとても喜んでくれました。青木氏はとてもきびしい編集者ですが、編集者がきびしければきびしいほどいい本ができると思っています。
「富士宮やきそば学会」の活動が抜群に面白いからです。やきそば学会は、これまでになかったまったく新しい町おこしのスタイルを作り上げました。それは、市民団体と行政と業界、その他いろんなところと一体となって町おこしをするというものです。きそば学会は「遊び」と「ノリ」で行動していきました。悲壮な使命感などないと言った方がいい。悲壮感があると押しつぶされてしまうし、長続きしません。やきそば学会はなんでも自由に楽しくやります。ですから、多くの人が集まってきて輪がどんどん大きく広がっていきます。したがって書いているうちにこちらも乗せられてしまうのです。私もこの小説を「遊び」と「ノリ」で書いたので楽しく書けたわけです。
地方の一市民団体が、どのようにして、またどうして全国の町おこしを動かす大きな力を持つに至ったかを書いてみたかったわけです。
やきそば学会関係者の皆さがたいへん喜んでくださり、4月9日にやきそば学会が母体となってできた「NPO法人町づくりトップランナーふじのみや本舗」の主催で出版記念パーティーが開催されました。30人以上の人が集まって、分不相応な盛大なパーティーで、、大いに盛りあがって楽しいパーティーでした。やきそば学会のエネルギーをあらためて感じました。その席で富士宮市長が、これは市の宝となる本だと挨拶の中で言ってくださったのが嬉しかった。また、やきそば学会会長の渡辺英彦氏は、挨拶の中で、これは映画化されるだろうと法螺を吹きました。渡辺氏は、よく法螺を吹きます。しかし、氏の法螺には夢を実現させるという不思議な力があります。ですから、きっとこの本は映画化されるだろうと信じているところです。
あとがきに、「この本を町おこしをするすべての人と、自分おこしをするすべての人に贈りたい」と書きました。この小説は、町おこしだけではなくすべての人に生きる意味とか生き方についての示唆を与えてくれるものと信じています。そして必ずや、読む人に知恵と勇気と力を与えてくれるものと信じます。
やきそば学会の活動は、とにかくドラマチックで、スケールが大きく、映画向きの題材だと思います。どなたか映画化してくださいませんか?
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