大卒業後は、高校教諭として勤務することが決っていた。大学の授業もなくなって自由になった頃、国語の教師になるからには、源氏物語ぐらいは読んでおかなければ恰好がつかないと思い、岩波の古典文学大系で読み始めた。
源氏物語は大河小説だ。全編では75年の月日が流れる。登場する人物もおびただしい。大系本で5巻の分量だ。これを読破するには並々ならぬ努力が必要だ。昼夜を分かたず読み進めた。赴任する前に読了するつもりだった。
ところが、5巻目に入って宇治10帖の「早蕨」を読み終えたとき、赴任先の県教育委員会から事前研修に関する連絡が入った。そこで源氏は中断を余儀なくされた。
60歳の定年退職を迎えた。ようやく時間ができたので、30数年前に読み差しになっていた源氏物語を初めから読み始めた。たちまち物語に引き込まれた。これほどワクワクしながら小説を読むのは久しぶりだった。とにかく源氏は面白い。とりわけ宇治10帖が面白い。ハラハラドキドキしながら、先を読まないではいられない。読了したあとは、濃密な余韻に酔いしれた。
ふと、源氏物語の現代語訳を思いついた。全編を訳すのは時間的にも労力的にも無理だが、宇治10帖ならできそうだ。源氏物語の現代語訳はすでにいくつも出ている。しかし、私の宇治10帖の現代語訳に対する思いは、少しも揺るがなかった。源氏物語を自分の文体に乗せて甦らせたいという思いが止みがたくなった。そしてたちまちのめり込んでしまった。1日10時間ほどやったので、数年かけて取り組むつもりだったのが、9カ月で終ってしまった。すると、出版したくなった。
現代語訳するうえで心がけたことは、誰でも源氏を楽しく読めるようにすること、源氏の格調を損なわないようにすること、の二つである。