14.山口少佐の救出と死

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 1月31日、午前8時ころ、各々登らんと試みたれど気のみ勇めども、足立たず。ようやく踏みしめ踏みしめ250メートルばかりのところを午後3時までかかりて、辛くも登りたりしに、はるかかなたに人の彷徨するを認めたり。…四人声を合わせて呼びしに、果たせるかな捜索隊にして、余らは辛くも救助せらるるを得たりしなり。

 山口大隊長がこの先の崖下にあることを知り、人夫が危険を犯して進行したるに、大隊長は毛布及び外套各2枚を肩と腰にまとい、あぐらをかき居たりしを発見したれば、ただちに少佐を助けて崖を上り、第8哨所に帰り、倉石大尉、伊藤中尉とともに衛戊(えいじゅ)病院に収容せり。

 この地帯でも次々と命の尽きる者が出たが、幸運もあった。見知らぬ谷を下ることは登山の定石では無謀なのだが、尾根地帯に比べれば強風を避けられる。水分は雪や谷川から補給できる。

 衛戊(えいじゅ)病院とは軍隊の病院である。

 

■山口少佐の臨終
 山口少佐は衛戊病院に収容せられたるのち、中島軍医の手当て治療を受けしが、何様、老体といい、凍傷もはなはだしく、経過思わしからざりしかと。精神の確かなるを頼みに万一を楽しみおりしが、2月2日午後8時に至り、容態にわかに変じて、危篤に陥り、同30分眠るがごとくに逝去せられぬ。少佐は重き凍傷を受けたれども、別に苦痛をも訴えず、気は力は比較的確かなりしが、談話を禁ぜられたるため、今回の惨事に就いて何事も語らず。むなしく逝去したりと。前日、少佐が田茂木野の患者収容所より送還せらるる途中、弱りたる声にて「喉が乾くから雪を取ってくれろ」と言われし一言は哀れの極みというべし。八甲田山の雪は消ゆれども、この恨みは線々として尽きる期なからん。

 失神と蘇生を繰り返していた山口少佐がついに病床で衰弱死した。凍傷によって身体中の血管が衰えているだろうから病因は特定できない。一般に老衰死などの場合には、たいていは心不全(血流停止)か肺炎(呼吸停止)という表面上の結果が公表される。山口少佐の場合は心臓麻痺(心不全)である。

 新田次郎の小説は、山口少佐が自責の念にかられてピストル自殺したと創作した。

 「手指がひどい凍傷なのでピストル自殺ができるわけがない、責任者が生き長らえるのは軍として都合が悪いから、軍医に麻酔薬を大量投与させて心臓麻痺させたのだろう」という説がある。新田次郎の小説は史実とは異なる創作なので、間違いを指摘する対象にするべきものではない。また、連日の新聞報道が、連隊長の津川中佐が山口少佐の生還を喜んだり、師団長の立見中将が遭難への批判をしたりしていることを公表している。全国民が注目している状態で、山口少佐の自殺を偽装しようとするだろうか。

 軍隊の論調は、この遭難事故の原因や責任は、自然、津川中佐、山口少佐、部下などに分散するものであり、山口少佐一人の責任ではないというものである。責任逃れや軍国主義と言われそうだが、事件に対する賛否両論は交わされていたのである。このような軍隊の論調は責任逃れというよりも、規則に従って状況対応の組織運営をしている軍隊において正直な結論と考えられる。

 本人が自殺を望んで、それを身近な人が幇助したことは考えられなくもないが、何か失敗するたびに責任者が自殺することが漏れ伝わって恒例になるのは、軍の指揮統制力の維持に支障があり、むしろ都合が悪いのである。全国民が注目している状態で、こっそりとはいえ殺人罪に問われる自殺幇助をするだろうか。衰弱による心不全ということをくつがえす十分な証拠は見つからない。

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