■1月25日 降雪ますます盛んなりしに関わらず、再び行進を始めて数十間進むうちに続々凍死者を見るに至り、到底退却するをあたわざれば、再び前露営地に引き返すこととなりしが、この時山口大隊長は全身凍えて、動くあたわず人事不省となり、軍帽のごときも吹雪にみまわれてその影さえ見えざれば、他の人は凍死せる兵士の軍帽を取りて、これを大隊長に冠らせ、ようやく介抱し、前露営地に連れ行きしも、この時大隊長は遂に絶命せり。… |
方角も分からないまま、大勢で同一行動するのはリスクが大きいと判断して、各自が独自に行動してもよいことに決まった。もちろん小隊や班の単位で一緒に行動しても構わない。
なかなか退却路が見つからず、最も多い人数のグループは1泊目の露営地を探した。年を取っていて心臓病の傾向のある山口少佐が絶命する。実際には失神して生きていた。
正午12時ごろ、再出発し、青森と思われる方向へ行進したが、幸いにも前日打ち捨てたソリを発見したので、これが前日の路であることを知って、兵士らはこれに勇気を回復して疲労も忘れたごとくに進み進んだが、日没後に至ってまたもや路に迷い、東南の方に折れて進み、やむなくここに露営することとして、所々に一組ずつ露宿した。 |
多人数のグループがついに1日目に捨てたソリを発見して、退却が成功しそうなことを認識できた。各自が死期の迫っていることを自覚しているので、正解のないまま部隊は次第に分散していく。失神した山口少佐は蘇生した時に、全責任を神成大尉へ委譲した。山口少佐は責任の扱いについて手続きを踏んでいるのである。正しい退却路付近を退却しつつ、比較的平坦な場所で3泊目の露営をする。
新田次郎の小説は、神成大尉が「各自勝手に行動せよ」と命令を発して、責任を放棄したことにより、少なからぬ兵士が絶望して昏倒したと創作した。
史実では死期は否応なく到来し、その前もその後も昏倒は次々と起きているのである。自由行動という方針は部下と合意を形成しながら命令され、団体行動を許容しつつ段階的に分散していったのである。もしも団体行動を続けていたら、全員が死亡した恐れがある。