7.大峠と大休止

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 夕方より大吹雪に変じて、ますます困難を極めつつ、なお前進せしが、この時到底行進の難きを認め、一行中にはむしろ田茂木野へ退却せんことを主張せしものありしが、この時既に過半進行し来たりしことにもあり、今更退くも如何なりとのことより、結局進軍に決定したれば、全軍ついに死を決して田代に向かうこととはなりたるなり。

 

 山岳地帯では、午前中は天候が好くても、午後は崩れることが多い。もう一つ考えられるのは、下界は天候が好くて、登山するうちに天候の悪い標高に達したのかも知れない。普通の登山なら午後は早々に宿泊の準備に入るのだが、戦争の場合は日没までは戦う。

 指揮者が存在するのに、部下が退却を主張するのはおかしいと思われるかも知れない。しかし、軍隊では万全を期すために、部下が反論することは軍律で決められているのである。「条約や国内法規に合致しているのか」「攻撃対象が民間人ではないか」「攻撃対象は味方ではないか」などの緊要な判断には、部下やさまざまな職種の協力が必要なのだ。必要なら反論するのが部下の仕事の一部である。

 反論は意見具申、提言、主張、建言などともいう。英語なら assertion や advocate である。時間にゆとりがある場合には、手続きをへて意見具申するが、戦場などでは簡略化した口頭の提言が行われる。絶対服従というと「軍隊のようだ」といわれがちだが、軍隊ほど部下の反論を奨励する組織はない。

 例えば、編成外で同行した永井三等軍医が、寒気や疲労が医学的な見地で危険だと判断したら、田茂木野への退却を提言することは、軍医としての仕事なのである。それに対して同じく編成外で同行した佐藤特務曹長(42歳)が、下士たちの体力に精通している経験にもとづき、進軍を主張することも特務曹長の仕事なのである。

 同じ特務曹長でも神成大尉が経験した特務曹長は、若いエリートの通過点であるのに対して、佐藤特務曹長はノンキャリアの最高峰へ出世したベテランである。特務曹長は下士官ではあるが管理職待遇である。山口少佐にひけをとらないえらい人だから、提言する責任は重いのである。スポーツチームに例えれば、士官は監督やコーチであり、下士官の中でも特務曹長はキャプテンに相当する。下士のことに精通したベテランなのだ。

 部下の提言に耳を傾けた山口少佐は、予定時刻よりも遅れていたものの、行軍続行を決心した。「死を決して」と表現されているように、進むのも退却するのもリスクがあることを認識していたのである。もう少し手前で提言があればよかったのだが、自然相手ではこの種のエラーはあり得る。

 神成大尉ではなくて、山口少佐が結論を出したのは、雪中行軍研究の責任者は現地にいない連隊長の津川中佐であり、山口少佐が現地の専決者だからである。山口少佐は、津川中佐だったらどう判断するかを想像して決心したのだろう。神成大尉は計画に従って研究を実施する指揮者だから、計画をどうこうする責任はない。むしろ予定時刻より遅れている行軍をどうするかの責任が重いのである。山口少佐の責任、神成大尉の責任、現場にいない津川中佐の責任、そして永井軍医や佐藤特務曹長の責任が交錯する緊迫した場面である。しかし、反論を聴くことは軍隊では当たり前のことなので、行程報告にはあまり記載がない。

 新田次郎の小説は、進藤特務曹長(佐藤特務曹長)を、下っぱなのに神成大尉や三等軍医を尊敬しないで、戦うことしか考えない軍人、神田大尉を総指揮者なのに優柔不断な中間管理職、そして山田少佐を権限委譲したのに権限をふるう経営者として創作した。

 なお、日本のドラマや映画の俳優は、感情を込めて演技するが、本当の軍隊やスポーツチームは、論争する時ほど冷静である。感情的になると判断を間違うからだ。

 繰り返すがこの行事は研究であって訓練ではない。猛吹雪という困難に面した場面に読み進むと、読者は訓練ではなくて研究なのだ、という史実を忘れてしまう恐れがある。この事故の史実と創作との違いを指摘するウエブ情報は少くないが、研究と訓練の違いを正しく区別している情報は少ない。

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