6.登山開始

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■1月23日
 第5連隊の一部隊が沿道の農夫等が案内者の必要を忠告せるに会えるも、「その方どもは、銭が欲しくてしかいうのみ」と叱り付けて、取り上げず、穴居密集の手段をも執らざりしは、粗漏に非ずして何ぞ(新聞『萬朝報』)

 田茂木野(たもぎの)という村に到着した。ここまでは冬季も住人が生活している山麓の村である。

 この新聞記事のような内容は、一般の行程説明資料には登場しない。あまり重要な場面ではなかったのだろう。

 萬朝報(よろずちょうほう)はマスコミの中では反体制的な報道をする新聞なので、この記事は話し半分に解釈しなければならない。このように軍隊への酷評を報道することは、当時も許されていたし、それを真に受ける読者もいたのである。軍国主義一色ではなかったのだ。

 弘前連隊の雪中行軍のところで説明したように、民間人が軍人や公務員を丁重に扱おうとするのは現在にも続いている慣習である。村民からの提案を聴いた下士官は、戦時編成の雪中行軍研究であり、宿泊するのも道を探すのも研究対象なので、ノー・サンキューと断ったのだろう。上司に相談するのは時間の無駄になるような、検討する余地のない提案であった。何でも上司にホウレンソウ(報告、連絡、相談)をしなければならないということはない。

 新田次郎の小説は、村民は軍人の積雪期の登山能力を心配して提案し、山田少佐がそれを聴いたが、吹雪の山岳地帯の恐ろしさを軽視して、全体指揮を権限委譲したはずの神田大尉に相談なく却下したということに創作した。

 史実の村民は、軍人の能力を心配したというよりは、丁重に扱いたいという気持ちによって協力を提案したと思われる。民間人から見ると戦時編成研究なのかどうかは分からないので、繰り返し提案して、しつこいと思われたのかも知れない。

 田茂木野の村民のご厚意だけをありがたく頂戴しつつ、いよいよ無人の登山路を行軍した。なだらかではあるが、傾斜のある積雪の上を重い荷物を運びながら登るのは大変である。

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