2.当時の史料が現代に復活

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 八甲田山雪中行軍の遭難事故は1902年の1月25日に始まる。この事故は次々と報道されて、全国民を驚かせた。最近になって、ワールドワイドウエブが誕生したこと、そして紙資料をもとに電子ファイルを作るスキャナーの普及によって、史実の資料を閲覧できるようになった。

 救護隊に救出された隊長の山口少佐は、軍隊の病院で2月2日に死亡した。

 佐賀新聞の2月4日版が現在も公開されている。遭難した青森隊の死者を悼むとともに、組織的な勇敢な行動を称賛している。同じ頃に雪中行軍研究をして、吹雪に会っても無事だった弘前隊は、幸運であったと報道された。それに対して、小説や映画は青森隊は指揮系統が乱れており、弘前隊は優れた指揮によって統帥されたと創作を施している。これが創作というものの妙味である。

http://www.saga-s.co.jp/koremade/timetrip/1902/02.html

史実、当時の市販本、芝居 新田次郎の創作小説・映画
遭難した青森隊は、組織的な勇敢な行動をした。 遭難した青森隊は、指揮者に恵まれず、統制が乱れた。
遭難しなかった弘前隊は幸運であった。 遭難しなかった弘前隊は、指揮者に恵まれ、統制が取れていた。

 遭難事故の原因や再発防止についての論調は新聞社によってさまざまである。2011年の東日本大震災の報道に通じる感じがする。軍国主義の時代と思われがちだが、マスコミは賛否両論を掲載して、軍隊の批判もしている。それすらも軍隊の強化を望む軍国主義といえるかも知れないが。

雪中行軍の準備不足の調査をすべきである。(東京日々新聞)

めったにない天災であった。想定するのは困難であろう。(時事新報)

不手際である。弘前隊は成功したではないか。(萬朝報)

今後は雪国人の知恵を活用して改善すべきだ。(東北新聞)

 2月16日に「雪中行軍」という本が市販された。仙台市の木文書店が価格12銭で発行した。それまでの事実情報を集大成した本である。現在の週刊誌に相当する役割を果たす。

 2月18日に東京の芝居小屋真砂座が演劇「雪中行軍」を上演して、事前の宣伝が功を奏して満員になった。これは史実(ノンフィクション)演劇であり、現在のテレビニュースに相当する役割を果たす。演劇はいくつかの芝居小屋で上演されて盛況であった。新聞報道の時から2週間程度で準備を済ませたことになる。

 雪中行軍に関する歌も創られた。

 3月1日には、戦艦三笠が竣工する。全長131メートル、全幅23メートル、最大速度18ノット、主砲口径30センチメートルである。

 6月19日に、私家版の本「第五連隊惨事」が出版された。当時から市販本に飽き足らない著述家が存在した。

 6月20日に、陸軍は捜索を打ち切り、7月に公式の報告書「遭難始末」を発行した。

 雪中行軍遭難事故を知らない世代が増えた1921年に、映画「雪中行軍」が制作され、好評であった。新田次郎の小説を元にした映画「八甲田山」が創作であるのに対して、この映画「雪中行軍」は史実映画である。現在のテレビのドキュメンタリ番組に相当する役割を果たす。

 これらの史料の一部は、国立公文書館アジア歴史資料センター、及び国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で閲覧できる。

http://www.jacar.go.jp/

http://kindai.ndl.go.jp/index.html

 弘前隊については、市販本や芝居の数は少ない。遭難しない雪中行軍研究は当たり前のことであり、珍しいことではないからである。

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