7.竜巻は本当に農地で生れるのか

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 農地は竜巻の元になる暖気団の生育地である。論理的には同じ条件を原因とする「結果の兄弟」という可能性はある。農地と竜巻との関係は農地が原因、竜巻が結果だろうと思われる。ただし、それと一緒に「結果の兄弟」という関係もある。

 台風の卵が熱帯収束帯で生れることは、必ずしも学問的に説明しきれてはいない。学術的に説明できなくても、台風の前身の熱帯低気圧が熱帯収束帯近くで生れるのは事実だ。
 竜巻が地球上でも農業地帯で生れやすいというのは、必ずしも学問的に説明しきれてはいないが、統計的な事実である。米国の農地に格別に多いのも統計的な事実である。生活や産業における進歩には、学問の発明・発見を待たずに現場が先駆けたものが少なくない。


◇傍証1:校庭や畑の旋風の記録
 運動会を撮影するためのビデオカメラで、校庭の旋風(つむじ風)を録画する例があった。最近は携帯電話器の動画機能によって、偶然に出会った農地の旋風を録画できた例もウエブで公開されている。積乱雲までつながる竜巻にならない小型の渦巻き風が旋風である。どの事例も雲のほとんどない穏やかな晴天であり、空気が対流していなかったことを伺わせる。

つむじかぜ

投稿者:paquita1030さん

http://www.youtube.com/watch?v=a_dBITMHSlQ  畑の旋風の鮮明な動画

晴天である。

つむじ風発生

投稿者:yam3ayu6さん

http://www.youtube.com/watch?v=igCX4BYWj6I 稲城市坂浜の斜面の畑

晴天である。

つむじ風 
投稿者:7skyway

http://www.youtube.com/watch?v=XK7IBxNGayE 公園

晴天である。服が時計回りに旋回しているのが珍しい。

激撮 巨大つむじ風発生

報道:ANNnewsCH

http://www.youtube.com/watch?v=3pJuCUvEAmw&hl=ja&gl=JP 長野県塩尻市

晴天である。木の葉が静止しているので無風だったことが分かる。

小学校の運動会で巨大つむじ風 
投稿者:foster9Bさん

http://www.youtube.com/watch?v=S_tr2EQhbRQ

晴天であるが、校庭を横断する万国旗がそよいでいる。旋風は校庭の片隅で起きた。

 空港や自衛隊基地・軍隊基地も広い平坦地があり、日照で暖まりやすい。しかし、舗装や芝生によって埃が立ちにくいなどの理由で、発生しにくいか、又は見えにくい。
◇傍証2:静岡県袋井市の逆方向の二つの竜巻の記録

 「2007年日袋井市で発生した突風の被害と原因」(静岡県高校生徒理科研究最優秀賞)という論文を紹介する。

 2007 年2 月14 日18 時10 分から30 分頃、静岡県袋井市で突風が起こり、家屋の倒壊や屋根瓦の落下、窓ガラスの破損、大型コンテナの横転などの被害が発生した。この被害は大変大きかったのでテレビや新聞でも大きく報道された。丁度このとき、本校地学部員の自宅ではこの突風の被害を受け、 屋根瓦が多数飛んだ。 また、他の地学部員の隣の家でも、フェンスが曲がったり駐車場の屋根が飛んだりした。

 突風という現象は落雷や豪雨のように1 年に何回も起こる現象ではないが、一度発生すると大きな被害を及ぼす。 そこで、私たちは今回の突風に興味を持ち、どのような被害が発生したのか、またその原因は何なのかについて詳しく調べてみることにした。

 二つの竜巻の風向きが正反対のように見える。農地には木や家屋がないので損壊の痕跡がないが、二つの竜巻の中間地点から竜巻が生育したと推測される。そこは東西が約800メートル(半マイル)の農地である。この付近は河川の氾濫域だったものを、明治初期に河川工事、農地開拓、耕地整理を行って整備されたところである。それらの整備を指揮した名倉太郎馬(なぐらたろうま)は、日本の耕地整理の祖とされている。
◇傍証3:茨城県つくば市等の同方向の三つの竜巻の記録
 農地が竜巻の生育場所であることを浮き彫りにしたのが、2012年5月に茨城県つくば市などで被害を与えた三つの竜巻である。

つくば市等の竜巻報道の地図

(c)2012 copyright Asahi Shinbun

鬼怒川南部農業推理事業地図

(c)2008 Copyright 関東農政局

 三つの竜巻の生育ステージの場所が、南北にほぼ一直線に並んでいる。ニュースの地図では分からないが、農政地図や人工衛星写真で見ると、鬼怒川と子貝川とではさまれた農地という共通点があることが分かる。二つだけなら偶然という可能性もあるが、三つとなると農地と竜巻生育とに相関がある可能性が高いといえる。

 「平成2456日に発生した竜巻等について(中間報告)」(気象庁等、2012.5.11)をもとに、人工衛星写真に竜巻の通過経路を赤い矢印で示す。また、鬼怒川と子貝川などによってはさまれた農業地帯を黄色の丸四角で囲んで示す。農業地帯の東西の幅は約8キロメートル(5マイル)にもなる部分がある。

栃木県真岡市〜茨城県常陸大宮市(F2級の相当な竜巻)  (c)2012 copyright GoogleEarth

茨城県筑西市〜桜川市(F1級の並みの竜巻)  (c)2012 copyright GoogleEarth

茨城県常総市〜つくば市(F3級の猛烈な竜巻)  (c)2012 copyright GoogleEarth

 ヤマトタケルの時代から、関東は広大な湿原であり、人が生活するのに不向きな地域であった。時代とともに開拓が進んでいき、人工的な開拓の用地は農地になることが多かった。江戸時代に、人口が急速に増加する江戸の食糧を確保するために、農地開拓が推進された。

 竜巻発生地点の記録は、過去に農地開拓された場所とよく一致する。特に昔の鬼怒川は氾濫を繰り返して、鬼怒川から子貝川に至るまでの間は農地にも居住地にも適さなかった。江戸時代に、鬼怒川や五行川、子貝川を現在の位置に固定する河川工事と、旧鬼怒川氾濫域に対する農地開拓工事が行われた。

 常総市〜つくば市ルートの竜巻の育成ステージの推定場所は、鬼怒川より西側の、常総市と坂東市の境を流れる飯沼川周辺の農地である。鴻野山新田、古間木新田、大生郷新田町、伊左衛門新田町、大馬新田などの土地名が、農地開拓地であったことを表している。

江戸時代より前の河川 (c)2012 copyright wikipedia    関東地方の竜巻発生地点 (c)2012 copyright 気象庁

 

■地形の影響の定説と仮説

 竜巻に地形が影響することは、少しだけ定説がある。

「関東平野は西側に標高千メートル級の関東山地が群馬県から神奈川県にかけてそびえている。西からの風が山に遮られ、海に面している南側から湿った風が流れ込むことになる。一方、上空では西からの風が関東山地を越えて吹き込んでくる。 南風が何らかの要因で上昇気流になると、上空で西風とぶつかり、回転が加わって渦を巻きやすくなる。さらに湿った気流が流れ込み続けて積乱雲が発達。」(産経ニュース、2013.9.5)

「広い平野では地表の起伏による抵抗がないので、発生しやすくまた邪魔されずに進行できるのです.」(茨城県竜ヶ崎市役所ウエブサイト『関東平野では竜巻が多い』)このことは専門家によるミニ竜巻のシミュレーション実験で証明されている。ただし、ミニ竜巻は周囲からの送風で発生させており、地表から発生したり、エネルギー補給がされるという条件ではない。

 これらの定説は真理の一部を表しているのであるが、竜巻農地発生仮説から見ると、重要な理論が欠けているように思われる。次がもっと重要な要因と思われる仮説である。これらを研究することを専門家へ期待する。

南側から湿った風が流れ込むことは、主たる要因ではなく、内陸の平野が日照によって暖気を蓄えて、それが『何らかの要因』としてのエネルギー源なのではないか。

山や都市部は凸凹していて通過の障害になるのは主たる要因ではなく、凸凹しているので暖気が蓄積しにくいと思われる。少し蓄えられても、すぐに空気が対流してしまうのだ。どこかで発生した竜巻が通過する時、山や都市部ではエネルギーの補給が乏しいので、竜巻が衰えやすいと思われる。竜巻の進行方向に平野があると、エネルギーが補給され続けるので衰えにくい。

 以上の仮説を支える傍証を次に挙げる。

◇傍証1:校庭などで発生する塵旋風

 塵旋風は、校庭などの地表付近が日照によって熱上昇気流を発生する場合や、風が山やビルによって収束する場合に起きる。前者は平らな土地が発生源であり、他から暖気が流れ込むことは必要条件ではない。

 校庭で発生した塵旋風のビデオでは、明らかに校庭で発生し、前半は移動しながら発達を続け、後半は衰退していくことが分かる。移動しながらエネルギーが補給される時期があると思われる。定説では竜巻と塵旋風の仕組みは根本的に異なるとして、両者の違いが強調されているが、それは全体的な仕組みのことであって、発生や持続の仕組みは共通性があると思われる。

◇傍証2:米国のトルネードの持続性

 米国のトルネードは例えば45分間も持続した例がある。大平原なので抵抗が少ないということだけでは説明できず、移動する時に進行先の地表からエネルギー補給が続くからだと思われる。

◇傍証3:台風の発達と衰退

 台風が熱帯の海上で発達し、温帯の海上では衰退する。海面からのエネルギー補給量の違いが影響することは仮説ではなく定説である。海上竜巻についても、海面がエネルギー補給源だといえるのではないか。

■鹿沼市・矢板市の竜巻(2013.9.4)

 この二つの竜巻は、最初に写真左下の矢印のように鹿沼市で発生して消滅し、少し後に写真右上の矢印のように矢板市で発生し、消滅した。

 これは上空を寒気団が移動したタイミングと合致しており、一連の寒気団の移動に伴って起きた別々の二つの竜巻であると認定された。

 二つの竜巻の中間地帯は、農地と丘陵が混じった凸凹の地形である。竜巻が発生しなかったのは、この中間地帯が抵抗になったのもさることながら、エネルギー補給源でなかったからだと思われる。

 鹿沼市の竜巻は中間地帯で消滅したのだから、矢板市の農地が抵抗がなくて竜巻が復活したわけではない。矢板市の農地が暖気エネルギーを蓄えていて、そこの上空に寒気団が到達して新たに発生したといえる。

 鹿沼市の農地は、渡良瀬川の氾濫域を開拓したと思われる。矢板市の農地は、鬼怒川及び那珂川の氾濫域を開拓した農地と思われる。農地発生仮説においては、竜巻の発生しやすい場所は、昔、氾濫する河川があった場所である。

 

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