2011.11.11 天竜川下り船転覆

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■渦に巻かれ船反転 天竜川下り事故、運航会社を捜索(中日新聞、8月18日)
 浜松市天竜区の天竜川で17日、天竜浜名湖鉄道の川下り遊覧船が転覆し、乗客2人が死亡、乗員乗客3人が行方不明となった事故で、船は渦に巻き込まれて反転して制御困難となり、船首側から左岸の岩壁に衝突したとみられることが分かった。

  記者会見では左のような地図が描かれていた。地図では上が北であり、左岸とは下流方向へ向いた場合の左の岸である。丸印が事故のあった岩壁である。

 私が撮影した現地近くの案内図(右)は右が北であり、やはり流れが二つある。船はなぜ広い方を下らなかったのだろうかと不思議に思った。

 次のGoogleEarth画像では流れは一本である。私が現地で確かめたところ、実際の流れは一本であった。

 

 一番目の船に乗船した女性船頭(58)は「私の時は何も問題なかった。この時期は川の水が少なくなる。きょうも少なかった。水があった方が(安全上は)いいんだけど」と話した。(中日新聞、8月18日)

 雨天で流量が多い時には流れの幅が広くなるので、波や渦などの乱れは減る。また、流れの幅が広い方が、舟が渦を避けるのには余裕がある。 今回は好天であり、流量は標準より少し多い程度であった。雨天の時よりも、流れの幅が狭くなるので、波や渦は強くなる。また、舟が航路を選ぶのに余裕がなくなる。水量が多い場合と少ない場合とが乱れは少なく、標準的な場合が最も乱れが多い。だからといって難所ということではない。

 以上の結果を見ると、ダム再編事業によって下流部に砂が到達するようになった場合に最も問題となるのは植生帯の存在である。(中略)
 河口から船明ダムにおける河床には、出水の末期に全く砂が残らないことが分かる。そのため、下流部では、植生には砂が貯まるが河床では浸食が進むと考えられる。
参考文献:「天竜川・遠州灘流砂系における広域土砂動態の解明と将来予測」、吉井拓也・佐藤慎司(東京大学大学院)、土木学会論文集、2010.1

 土木学では樹木が土砂の流れを妨げることは定説である。次の図の矢印の部分の本流がなくなったのは、中央部左から出っ張っている樹木がじゃまをして、土砂が流れなくなったせいだと思われる。残された流れは河床の浸食が進み、深くて急流になり渦を巻くようになったのだろう。

 出っ張っている樹木を伐採し、河原を掘削して昔の本流を復元すれば、より安全に川下りをすることができる。河川管理の報告書を読むと、川俣地区からは樹木伐採の陳情があったのだが採用されなかった。採用された地区もあるので、陳情活動の強弱のせいではないだろうか。

■運航会社が撤退決定 天竜川下り、浜松市長「別の形に」
 5人が死亡した天竜川下り船転覆事故で、受託運航していた第3セクター「天竜浜名湖鉄道」(浜松市天竜区)は11日、同市役所で開いた取締役会で、委託元の「天竜観光協会」に運航権を返上し、川下り事業から撤退することを全会一致で決めた。
 観光協会は「天竜浜名湖鉄道が撤退すれば川下りの存続は難しい」との立場。浜松市の鈴木康友市長(天竜浜名湖鉄道副会長)は取締役会後「保存会として継続するなど、別の形の観光資源として考えていく」と述べ、観光協会などと存続の道を探る意向を明らかにした。
 取締役会には取締役11人のうち名倉健三社長や鈴木市長ら7人が出席し、会長の川勝平太静岡県知事は欠席。名倉社長は「事故を起こして安全体制に不備があったと反省した。しっかりした体制をつくろうとすると、人材面などで厳しいと判断した」と説明した。
(中日新聞、2011年11月11日)

 消えた本流に続いて、川下り船も歴史上だけの存在になってしまうのだろうか。本流とともに川下り船を後世まで残すことはできないだろうか。

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