歌集「白描」の歌
◆蘇る歌集「白描」  第二部「翳」の序文より
單なる空想の飛躍でなく、まして感傷の横流でなく、刹那をむすぶ永遠、假像をつらぬく眞實を覚めて、直感によって現實を透視し、主観によって再構成し、之を短歌形式に表現する─日本歌人同人の唱へるポェジイ短歌論を斯く解してこの部の歌に試みた。
その成果はともかく、一首一首の作歌過程に於て、より深く己が本然の相に觸れ得たことに、私はひそかな歓びを感じてゐる。

◆第二部 翳(えい)
◇夜
夜な夜なを夢に入りくる花苑の花さはにありてことごとく白し
かたはらに白きけものの睡る夜のゆめに入り來てしら萩みだる
◇天
大空も蒼ひとしきり澄みまさりわれは愚かしき異變をおもふ
涯もなき青空をおほうはてもなき闇がりを彫(ゑ)りて星々の棲む
◇斜面
ひたぶるに若き果肉をかがやかす赤茄子鼻にやすらひがたし
蝉の聲のまつただなかを目醒むれば壁の疊もなまなまと赤し
◇寂
ひとしきりもりあがりくる雷雲のこのしづけさを肯(うべな)はむとす
◇星宿
星の座を指にかざせばそこここに散らばれる譜のみな鳴り交す
星の夜のこの大空を虹色にわが吐く息は尾を曵きてあれ
◇砌
もの音の絶えてじまひし日のさかり壁にむかひて我のねむりぬ
竹林にひとつの石をめぐりつつ言ふこともなきしばしなりけり
夕づけばしづむ遠樹の蝉の聲なにもかもしつくして死にゆくはよけむ
◇軛
息の緒の冷えゆく夜なりまどろみつつすでに地獄を堕ちゆくひととき
かぎりなき命と聞けばあなかしこ霊魂てふに化けむはいつぞ
◇軌跡
引力にゆがむ光の理論など眞赤なうそなる地の上に住めり
いつの世の魚貝の夢かをりをりにまだらに青き殻をあらはす
千本浜の歌碑に選ばれた「シルレア紀の地層は杳きそのかみ・・」もこの「軌跡」の歌です
◇奈落
明暮をあだにおろそかに思はねど屍となる身ぞ臭ふなる
こんなとき氣がふれるのか蒼き空の鳴をひそめし眞晝間の底
◇錆
つのりくる如法(によほふ)の闇にまみれつつ身よりくされし錆掻きむしる
霧も灯も青くよごれてまた一人我より不運なやつが生まれぬ
◇冴
山なみを壓しかたむけて迫り來る空のふかきに吸ひあげらるる
あらはなる虚空(こくう)の距離をいただきて野鳥のあそびつひにおごらず
◇巷
ある朝の白き帽子をかたむけて夢に見しれる街々を行く
足音の絶えし巷に目醒むればかぎりなき花々闇にひそまる
◇年輪
伐られたる根株に白き年輪は脂をふきつつ枯れゆくらしも
とある夜のしづけさ深くしみ入りて髄に埋れしかなしみを螫(さ)す
沼商の歌碑に選ばれた「わが指の頂にきて金花蟲の・・」はこの「年輪」の歌です
◇譚
はてもなくかげろひしきる野のはてに晝は遠のく跫音ばかり
いちめんの枯木に花をさかせつついつの夜までを我の夢見し
千本浜の歌碑に選ばれた「さくら花かつ散る今日の夕ぐれを・・」はこの「譚」の歌です
◇晝
海ぞこのかがやくばかり銀の錢ばら撒きをれば春のまひるなれ
薔薇ひらき揚羽蝶(あげは)みだるる日のまひる一碧の空はわが明をおほふ
◇遲日
あかつきの夢に萌えくる齒朶わらび白き卵は我を怖れぬ
ちひさなる抽斗(ひきだし)あまたぬき竝べあれやこれやに思ひかかはる
◇暁
うつくしき夢はみかねてあかつきの星の流れにまなこうるほす
あかつきの窗をひらけば六月の白い花びらが手のひらに降る
水底(みなそこ)に木洩れ日とほるしづけさを何の邪心はとめどもあらぬ
新緑の夜をしらじらとしびれつつひとりこよなき血を滴らす

癩は天刑である  
加はる笞(しもと)の一つ一つに、嗚咽し慟哭しあるひは呷吟(しんぎん)しながら、
私は苦患(くげん)の闇をかき捜って一縷(いちる)の光を渇き求めた。

― 深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない ―

そう感じ得たのは病がすでに膏盲(こうこう)に入ってからであった。
齢(よわい)三十を超えて短歌を学び、
あらためて己れを見、人を見、山川草木を見るに及んで、
己が棲む大地の如何に美しく、また厳しいかを身をもって感じ、
積年の苦渋をその一首一首に放射して時には流涕し時には抃舞(べんぶ)しながら、
肉身に生きる己れを祝福した。
人の世を脱(のが)れて人の世を知り、骨肉と離れて愛を信じ、
明を失っては内にひらく青山白雲をも見た。
癩はまた天啓でもあった



◆この「白描」については「明石海人顕彰会」にお問い合わせ下さい。 明石海人顕彰会活動紹介HPへ 活動紹介のHPへ
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