歌集「白描」の歌
◆蘇る歌集「白描」   二十一世紀への遺言
この表題は歌集白描復刻版日本大学の岡野久代先生の拙文解説文のタイトルです。その拙文の中で岡野先生は、この白描の歌集名の由来をこう記しています。
『海人は沼商時代に墨絵を堪能に描いたと言われますが、表題名の「白描」は墨絵のジャンルである「白描画」に由来します。文学作品の表題は著者のセンスや著書の価値を決定する大きな要素ですが、この表題名によって歌集創作の真意を象徴的に表出した海人の芸術感度は卓越しています。骨画きと呼ばれる白描画は絵画の基本でありながら、独立したジャンルであり、筆者の心が墨線に強烈に反映する、誤魔化しの利かない東洋画ですから、命の瀬戸際に織られたこの絶唱歌集は「白描画」の真髄を念頭に悲壮な決意で編纂されたことが想像されます』

◆第一部 白 描 今までの歌意のページで紹介した歌以外の歌を
◆診断 白描の中からほんの一部ですが紹介をしてゆきます。
◇診断の日
言もなく昇汞水に手を洗ふ醫師のけはひに眼をあげがたし
看護婦のなぐさめ言も聞きあへぬ忿(いかり)にも似るこの佗しさを
雲母(きらら)ひかる大學病院の門を出でて癩(かたゐ)の我の何處(いづく)に行けとか
◇その後
生立(おひた)ちて情(つれ)なかりしと我を見むその遙かなる遷ろひをおもう
癩(かたゐ)わが命を惜しむ明暮を子等がゑまひの厳しくもあるか
◇家を棄てて
昨日(きぞ)の夜を母がつけたる鮎の鮓のにほふ包は網棚に置きぬ
窓の外はなじみなき山の相(すがた)となり眼をふせて切符に見入りぬ
◆紫雲英野
◇鬼齒朶
とりとめて書き遺すこともなかりけむ手帖にうすき鉛筆のあと
齒朶わか葉夕づく岨(そひ)を歸りつつ山蟹つめ朱なるを見たり
◇紫雲英野
世の常の父子(おやこ)なりせばこころゆく歎きはあらむかかる際(きは)にも
紫雲英咲く紀の国原の揚雲雀はかなきことは思いわすれむ
ふるさとの家に歸らば今もかも會はるる如き思ひは歇(や)まず
◇歸省
年を経て歸る吾家に手(た)童(わらは)の父とは呼べどしたしまずけり
夕經の持佛にむかう老(おい)らくの父が頸(うなじ)はおとろえにけり
◆島の療養所
◇納骨堂 (各項に何首かあるのですが勝手一首か三種をに選んでいます)
椿咲く島の御堂の朝たけてせりもちにさす翳(かげ)のしづけさ
◇醫局
ついたての白布のかげに牡丹の花朱(あけ)にひそまる内科室の午後
◇大楓子油 (大楓子油は唯一の治癩剤として、週に三回の注射を行う)
注射針の秀尖(ほさき)のあたりふくれゆく己が膚(はだへ)をまじまじとみる
◇白罌栗
白罌栗を甕には挿せど病み重る友の瞳にうごくものなし
◇骨壺
亡骸をおくり來りて月あかり解剖室に賛美歌をうたふ
小包に送らるるてふ豊彦が遺骨の壺はちひさかりけり
◇靜養病棟
狂ひたる妻をみとりて附添夫となりし男は去年(こぞ)を死したり
◇盆踊り
いちやうに朱(あけ)の花笠ひるがへす盆の踊りのはなやぎ寂氏し
◇追悼 (看護婦奥山姉を偲びて)
八木節の囃子(はやし)かなしく舞ひし夜の衣(きぬ)綾さへ眼には残るを
◇補助看護
交代の言葉を言へば目をあげて看護(みと)らるる人も我を見まもる
夜すがらの看護を了へて降りたてば壁の葛(かづら)の露のしづけさ
◇病める友
かたゐ等は家さへ名さへむなしけれ白米(しらよね)に飯(いひ)を珍(とも)しらに食む
◇ある人に
ソクラテスは毒をあふぎぬよき人の果は昔もかくしありけり
◆幾山河
この”回想歌をとり入れた第四章の<幾山河>ですが、これは若山牧水の名歌「幾山河こえさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく」をしさしていることは、筆者編集の「海人全集」(皓星社・平成5年)に集録した資料に基づく明石海人年譜によって明瞭になりました。沼津千本浜公園内の歌碑に刻まれたこの歌は今日では歌人や短歌愛好家のみならず、一般の人々にも沼津の文化的イメージの一つとして定着しておりますが、当時も歌壇会では名代の歌碑であったはずです。戦前のハンセン病療養所では患者の生年は伏せられ、本名と出身地までも隠されるのは常識でしたから、海人が生涯こよなく愛した故郷を作品の中に遺す手法は、メトニミー(換喩法)による表現によって<幾山河>を織り込むことでした。公表できない故郷の名を歌集の中で「言わずして言う」詩想を練ったわけですが、これは短歌で綴る歌集の妙味でもあります。”   と、この序文の中で岡野先生は言い表しています。

◇夜雨
夢なりと思ひすつれど老(おい)らくの父が便りの絶えてひさしも
◇父の訃
白ふぢの鉢のまへにて言はしける別れ來し日の父が眼(まな)ざし
今日の訃の父に涙はながれつつこの悲しみのひたむきならぬ
父ゆゑに臨終(いまは)のきはのもの言ひに癩(かたゐ)の我を呼び給ひけむ
◇面會
偶々(たまたま)を逢ひ見る兄が在りし日の父さながらのものの言ひざま
面會の兄と語らふ朝なぎを葦むらに波のたゆたふ
◇朝日トーキーニュース
遠泳にめぐり疲れしかの島に光りくだくる白波がみゆ
かの浦の木槿(もくげ)花咲く母が門(と)を夢ならなくに訪はむ日もが
歌意: 海辺にほど近い生家では今ごろ木槿の花が咲いているだろう。ああ。母さんの住む家を訪ねて夢でなくほんとうにあいたいものだ。
◇寫眞
吾子(あこ)が佇(た)つ寫眞の庭の垣の邊に金柑の木は大きくなりぬ
◆惠の鐘
◇惠の日に (皇太后陛下の御仁徳を偲び奉りて)
みめぐみは言はまくかしこ日の本の癩者に生(あ)れて我悔ゆるなし
◇惠の鐘
唱和する癩者一千島山にめぐみの鐘は鳴りいでけり
◇恩賜寮
暁至(あげさ)るやまづ日のあたる 光が丘の南おもてに 疉なす甍の翠 白珠の壁に照り映え 眞木香る簷(のき)をめぐりて 聲近しみめぐみの鐘 波光る播磨(はりま)おほ灘(うみ) ・・ (長歌) ・・・
◆鬼豆
◇木魚
踊手に木魚打ちつつ見入る漠のまなこの光喰ひ入るごとし
◇芝居
喜多八が關西訛りに啖呵をきる癩療養所の芝居たぬしも
◇除夜
追羽子の音もあらなく元日のこの靜けさをひとり籠らふ
◇鬼豆
春未だ木草は萌えず寂び寂びと葉枯れ齒朶山日にしらみたり
◇沈丁花
沈丁のつぼみ久しき島の院に「お蝶夫人」のうたをかなしむ
◆春夏秋冬
◇春
坂道をくだり來つれば薔薇苑は香に籠りつつうすら日の照る
花びらの白く散りしき牡丹の影一むらにほう夕日のながさ
◇暮春
骨あげにしばし間のあり火葬場の牡丹ざくらに蜂は群れつつ
◇松籟
賓人(まらうど)の撞き給ふらむ高鳴るや鐘の響はほがらほがらに
◇泰山木
いつの日かわが臨終は見給はむ母とたのみつつこの人に頼(よ)る
◇波
登りきて見放(さ)くる沖のかくり岩うねりうねりを見えて泡だつ
◇夏至
演習のやがてはじまる松山に夏うぐひすの聲しづかなり
萌えいづる榁(むろ)の白芽に降る雨は匂ひあたらし音(ね)のあかりつつ
◇盛夏
風鳴りは向ひ木立にうすれつつ夕べを鳶のこゑ啼きいでぬ
◇立秋
夕凪ぐや眼下潟(まなしたがた)にしづむ日の光みだして白魚(はくぎょ)跳びしく
あかあかと海に落ちゆく日の光みじかき歌はうたひかねたり
◇秋
地ならしの丹(に)土の下に秋草の萩も桔梗も埋もれてゆきぬ
紙うらに滲(にじ)みてかわく墨のあと深夜(ふかよ)をものの聲は絶えつつ
◇拍手
ひたすらに癩者療救(ぐ)の四十年わが園長(そのおさ)今日をたふとむ
◇楽
人間が鳴らす音色のかくばかりかなしかる夜を星はひそまる
◇姪
これの世を短き命ひたぶるに聰(さか)しくもこそ汝(なれ)の生きしか
◇蟋蟀
天井の白きにひろがる雨もりを妻子眷族のりてなげかふ
息つめてじやんけんぽんを爭ひき何かは知らぬ爪もなき手と
死にかはり生れかはりて見し夢の幾夜を風の吹きやまざりし
◇冬
前裁に菊菜つみつつこの頃をおこたる母への便りをおもふ
門さきに冬木の影のしづかなる入日のなかを歸り來にけり
◇壺網
この朝も石油の料(しろ)に足らずよと芥のごときを舟に投げこむ
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◆この「白描」については「明石海人顕彰会」にお問い合わせ下さい。 明石海人顕彰会活動紹介HPへ 活動紹介のHPへ
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