歌碑に刻まれた歌とその歌意
歌集「白描」にも優れた歌がたくさんありますが、その白描の中から以下の4首が選ばれ歌碑に刻まれました。
さくら花かつ散る今日の夕ぐれを幾世の底より鐘のなりくる
歌意: さくらの花がはらはらと散り急ぐ春の夕暮れ、時を知らせる鐘の音に耳を澄ませば、走馬灯のように美しい思い出が甦ってくる。
この詩は、沼津千本公園の主たる歌碑に刻む歌として選考委員全員の満場一致で決定しました。この歌の示す鐘は長島愛生園を象徴する「恵の鐘」と名称された梵鐘ですが、貞明皇后の御歌「つれづれの友となりても慰めよゆくこと難きわれにはかりて」が刻まれております。鐘楼堂の築かれた光が丘は、海人が心労と髄膜炎の影響と思われる視幻聴追跡妄想状態から回復し、やがて締念の境地を迎えた長島の中心に位置する小高い丘です。海人はこの丘の巨石に座し、美しい瀬戸内海を眺めているうちに、人間を超越する大自然の偉大さと運命に抗う無益を悟ったと言われています。そして昭和九年三月、『愛生』に初めて詩歌を発表し、それ以来、文学活動に邁進するようになりました。長島全島に響き渡る恵の鐘は、患者の手によって朝夕六時に撞かれましたが、鐘の音に耳を澄せば、心象風景の一つにかつてハンセン病の診断を受けた絶望の日の桜の情景が再来したとしても、もはや晩年の締観に辿り至った海人にとって、ひたすら桜の美しさだけが甦るのです。孤独な詩人の魂を慰めるひととき、花びらの擦れ合う幽かな音さえ感じさせる聴覚の冴え、「滅びの美」が底はかとなく漂う秀歌であり名歌ですが、すでに海人の全視力は奪われ、終焉の影は忍び寄っていました。

ゆくりなく映画にみればふるさとの海に十年のうつろいはなし
歌意: 療養生活のある日、ニュース映画を見ていると、思いがけず沼津の風景が映っている。懐かしい駿河湾、千本松原。永別の悲しみを抱いて離れた十年前の美しい海と松原はいまでも少しも変わっていないではないか。あー、故郷に帰りたい。
過酷な療養生活のしばしの憩いの時、朝日新聞社による慰問映画に映し出された郷土の風景は、瀬戸内に浮かぶ隔絶の島で、極限の闘病生活を送る弧高の詩人をどれほど慰め、あるいは動揺させたに違いありません。この歌の背景に食料も、物資も、情報も乏しい隔絶のらい療養所における生活状況を慮ると、一見して技巧のない平坦な歌に見えますが、子供のころ遊んだ千本浜、勉学に励んだ沼津の風景に、妻や子、友の顔などが連想され、海人の胸は郷愁に張り裂けんばかりであったと思います。

シルレア紀の地層は杳(とほ)きそのかみを海の蠍(さそり)の我もすみけむ
歌意: 古生代シルレア紀の地球。悠久の昔、深海を住家に蠍として私は棲んでいたのである。永遠の生命(いのち)よ。
静岡県は富士の頂と駿河湾の深海と、日本でもっとも高低さをもった県などです。シルレア紀の海の地層は、日本の領海の中でどの湾よりも深海である駿河湾の海底を想起させます。駿河湾は深海性の魚類の豊富なことで知られますが、この海蠍はシルレア紀に絶頂期であったサソリ形の絶滅した海生動物のことです。自己の生命を四十億年という永劫の調べに回帰させ、昇華させたこの歌は、最も明瞭に海人の宗教観と哲学を明示していると考えられます。

沼津商業高等学校
わが指の頂きにきて金花蟲(たまむし)のけはひはやがて羽根ひらきたり
歌意: 私の指の先端に玉虫が留まり、まもなく綺麗な羽根を開いて飛び立ちそうだ。ああ、私も玉虫のように優美に飛翔しよう。
絵画的な色彩感豊かな歌です。玉虫は羽に二本の縦の筋をもつ艶やかな金緑色の昆虫ですが、その羽は厨子などの美術工芸品に装飾として使われます。ハンセン病の後遺症のひとつに手足の変形と知覚障害がありますが、その上に全視力を失った海人が豊な感性と想像力を躍動させ、一際ファンタスティックな世界を描き出した傑作の一つです。

癩者の三大苦といわれたのは、「癩の診断告知」と「失明」と「気管切開」です。失明と気管切開の両方を受ける患者の比率は少なかったようですが、海人も両方の洗礼を受けました。白描は闘病生活の過程の作歌ですので、非常に「失明」の章以降では、悲痛な、痛々しい歌が多いのですが、歌碑に選ばれた3首は「白描」の第二部「翳」の中からのものです。故郷に思いを寄せる比較的明るい歌が選ばれたと思います。

◆「瀬戸の潮鳴り」に集録されている歌 (前のページで歌意を紹介している歌以外のもの)
青蜜柑剥きつつ思ふ叱られて幾たび我の父をうとみし
今にしておもへば彼ぞ癩なりし童のわれと机並(な)めしが
わが病あるひは彼に受けたらむ童(わらはべ)の日のしかも親しさ
職を辞め籠(こも)る日ごとに幼らはおのもおのもに我に親しむ
梨の実の青き野道にあそびしてその翌の日に別れ来にけり
白飯を器に盛りてあたらしき箸はたてつつ歎き足らはず
縁側の壁に彫られし落書も古りし我が家に帰り来にけり
家妻と茶を汲みをれば年を経て帰り来たりし我が家ともなき
ふたたびを訪(おとな)ひてよとねむごろに我が童(わらはべ)は我をもてなす
あらはなる轍(わだち)のあとをあゆみつつ許さるまじき悔となりきぬ
踏みしだく茨(いばら)にうすき血を流し隈(くま)なき声をのがれんとすも
照明の光の圏にメスをとる女医の指(および)のまろきを見たり
病む我に会ひたき吾子を詮ながる母が便りは老い給ひけり
こんなとき気がふれるのか蒼き空の鳴りをひそめし真昼間の底
器には昨日のごとく飯を盛るならひに老いて操る夢もなく
この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ
息の緒の冷えゆく夜なりまどりみつつすでに地獄に堕ちゆくひととき
残された私ばかりがここにゐてほんとの私はどこにも見えぬ
この島の医官が君の少女なす語りごとこそ親しかりしを
こもりますわが師の君のおもかげも現(うつつ)に見えて思ひの傷む
うすら日の坂の上にて見送れば靴の白さが遠ざかりゆく
夕あかる室の空しさ帰り去(い)にし我兄(わがせ)の声は耳にのこりつつ
いたむ眼を思ひつつ来る温室に護謨(ゴム)の芽だちの紅あはあはし
まじまじとこの眼に吾子をみたりけり薬に眠る朝のひととき
若くして優れし才の師の逝かす面影いたくまながひに立つ
夜すがらを案じあぐめる歌ひとつ思いありけり朝がゆの間も
癒(い)えがてぬ病を守(も)りて今日もかも黄なる油をししむらに射つ
おのずから遁(のが)るるごときおもひもて重病室の廊を帰り来
この朝も石油の料(しろ)にも足らずよと芥のごときを舟に投げこむ
なりはいの険しさを言ふ蜑(あま)の老つくづくと見て我らを早iと)しむ      (なりはい=生活 ・ 蜑=漁師)
更(か)えなずむ盗汗(ねあせ)の衣にこの真夜を恋へば遥けしははそはの母は
さぐり行く路は空地にひらけたりこのひろがりの杖にあまるも
杖さきにかかぐりあゆむ我姿見すまじきかも母にも妻にも
人の世の涯(はたて)とおもふ昼深き癩者の島にもの音絶えぬ
切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし
このままにただねむりたし呼吸管にいで入る息に足らふ命は

◆ 短歌を紹介しているサイト
電脳短歌イエローページ http://www.sweetswan.com/yp/
日本歌人クラブ http://www.kajinclub.com/
短歌ホームページ http://www.asahi-net.or.jp/~mt1m-ootn/tanka-hp/tanka.html
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