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青蜜柑剥きつつ思ふ叱られて幾たび我の父をうとみし |
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今にしておもへば彼ぞ癩なりし童のわれと机並(な)めしが |
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わが病あるひは彼に受けたらむ童(わらはべ)の日のしかも親しさ |
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職を辞め籠(こも)る日ごとに幼らはおのもおのもに我に親しむ |
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梨の実の青き野道にあそびしてその翌の日に別れ来にけり |
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白飯を器に盛りてあたらしき箸はたてつつ歎き足らはず |
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縁側の壁に彫られし落書も古りし我が家に帰り来にけり |
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家妻と茶を汲みをれば年を経て帰り来たりし我が家ともなき |
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ふたたびを訪(おとな)ひてよとねむごろに我が童(わらはべ)は我をもてなす |
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あらはなる轍(わだち)のあとをあゆみつつ許さるまじき悔となりきぬ |
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踏みしだく茨(いばら)にうすき血を流し隈(くま)なき声をのがれんとすも |
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照明の光の圏にメスをとる女医の指(および)のまろきを見たり |
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病む我に会ひたき吾子を詮ながる母が便りは老い給ひけり |
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こんなとき気がふれるのか蒼き空の鳴りをひそめし真昼間の底 |
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器には昨日のごとく飯を盛るならひに老いて操る夢もなく |
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この空にいかなる太陽のかがやかばわが眼にひらく花々ならむ |
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息の緒の冷えゆく夜なりまどりみつつすでに地獄に堕ちゆくひととき |
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残された私ばかりがここにゐてほんとの私はどこにも見えぬ |
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この島の医官が君の少女なす語りごとこそ親しかりしを |
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こもりますわが師の君のおもかげも現(うつつ)に見えて思ひの傷む |
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うすら日の坂の上にて見送れば靴の白さが遠ざかりゆく |
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夕あかる室の空しさ帰り去(い)にし我兄(わがせ)の声は耳にのこりつつ |
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いたむ眼を思ひつつ来る温室に護謨(ゴム)の芽だちの紅あはあはし |
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まじまじとこの眼に吾子をみたりけり薬に眠る朝のひととき |
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若くして優れし才の師の逝かす面影いたくまながひに立つ |
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夜すがらを案じあぐめる歌ひとつ思いありけり朝がゆの間も |
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癒(い)えがてぬ病を守(も)りて今日もかも黄なる油をししむらに射つ |
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おのずから遁(のが)るるごときおもひもて重病室の廊を帰り来 |
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この朝も石油の料(しろ)にも足らずよと芥のごときを舟に投げこむ |
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なりはいの険しさを言ふ蜑(あま)の老つくづくと見て我らを早iと)しむ (なりはい=生活 ・ 蜑=漁師) |
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更(か)えなずむ盗汗(ねあせ)の衣にこの真夜を恋へば遥けしははそはの母は |
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さぐり行く路は空地にひらけたりこのひろがりの杖にあまるも |
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杖さきにかかぐりあゆむ我姿見すまじきかも母にも妻にも |
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人の世の涯(はたて)とおもふ昼深き癩者の島にもの音絶えぬ |
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切割くや気管に肺に吹入りて大気の冷えは香料のごとし |
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このままにただねむりたし呼吸管にいで入る息に足らふ命は |