ハンセン病について
ハンセン病は歴史(映画)にも出てきます。ベンハーの母や妹、また石田三成の親友の大谷吉継もそうであったと思われます。
ハンセン病を起こす抗酸菌はノルウェーの医師G・A・ハンセン氏によって1873年に発見されました。この抗酸菌に感染(体内への侵入)すると、誰でも感染すると言うわけではなく、免疫性の関係で感染しない場合の方が多いいようです。幼児の頃に感染すると発病し易いが、大きくなるとほとんど発病しないようです。感染し発病すると、先ず、末梢神経が侵され、ついで皮膚、時としては他の臓器も侵されます。
現在では完全に治る病気です。早期発見、早期治療(充分な)すれば完治し後遺症(傷害)もほとんど出ないようです。現在の日本では年間の新患者数は10名以下と聞きます。

ハンセン病は治る病気です 国立駿河療養所所長 医師 江 川 勝 士
ハンセン病は治る病気です。治療しなくても治ってしまうこともあります。しかし、治療薬のなかった時代は病が重くなってしまう人がいました。これはハンセンに限らずすべての感染症に当てはまることです。ハンセン病がことさら怖い病気と勘違いされたのは、病気の活動期の症状と病気が治った後の後遺症とが区別しにくいことに起因するのではないでしょうか。

病が進むと体の表面近くにある細かい神経繊維が破壊されてしまいます。神経は破壊が進みすぎると完全に再生しません。したがって一部の神経はその働きを永久に失ってしまいます。治療により体の中の病原菌がなくなっても失われた働きは元に戻りません。この後遺症による傷害があるためハンセン病は治らない病気だ ― いつまでも体内に菌を宿している ― と誤解されてきたのだと思います。

 ハンセン病の主な症状である知覚障害は日常生活を営む上で大きな障害となります。
 Mさんはかつてハンセン病にかかっていました。今でも両上肢の肘から指先までと両下肢の膝からつま先までの知覚がありません。畑仕事を終えてシャワーを浴びようと、瞬間湯沸かし器をつかいました。まず足を洗いました。次に体へとシャワーをかけたとたん飛び上がりました。熱湯に近いお湯だったのです。両足とも皮下に達するやけどを負っていました。

 I さんは山が好きです。特に山芋の季節になるとうきうきして山に出かけます。ある日ご機嫌で山から帰ってきました。一風呂浴びて彫りたての山芋を肴に一杯やり床につきました。翌日、寒気と震えで目が覚めました。右足が赤く腫れあがっています。足の裏に小さい傷があり、どうやらそこから感染したらしいのです。前日山に履いていった靴を調べてみると小さい石ころが靴底に残っていました。石ころを踏みつけたために出来た傷に気がつかず風呂に入ったため感染したのだと思われました。

 指先に刺さったとげに気づかず、あるいは指先に出来た小さな傷に気がつかないまま水仕事、土いじりなどを続けたために化膿してしまい骨髄炎まで進んでしまって、やむなく指を切断せざるを得なくなることがあり私たちが生活する限り、気づかない内に小さい傷をしょっちゅう作っているのは誰でも経験することでしょう。痛みを感じればその場で治療するでしょう。

知覚に障害を持つ人たちには小さい傷に気づかないことの恐ろしさを熟知し、最新の注意を払って生活しておられるわけですが、それでも活動する限り小さな外傷を受けることは避けられません。その結果手足の感染症が絶えず、指の変形などが進行してしまいます。このことがハンセン病は治らないし、進行性であるという誤解を招いているのだと思います。

ハンセン病は治らないものと思っておられるハンセン病体験者の方も居られるぐらいです。治れば知覚が正常になり、動かない指も動くようになるはずではないかと。
今一つ、ハンセン病によってもたらされる傷害に視力障害があります。治療が遅れたために失明にいたることもあります。後遺症として大きなハンディになります。

                                    平成13年4月3日
     ― 歌集「白描」復刻版より抜粋 ―

ハンセン病の「名誉回復及び追悼の日」が6月22日と制定されました。
◆国は率先、啓発運動を (静岡新聞 H21.6.30 社説より)
日常社会から強制的に隔離されてきたハンセン病患者の名誉を回復し、犠牲者を痛む「名誉回復及び追悼の日」が6月22日と制定され、式典が開かれた。2001年の補償法施行日にちなむ記念の日である。桝添要一厚労相は「国の隔離施策が社会の厳しい差別・偏見を生み、患者や家族に筆舌に尽くしがたい苦痛と苦難を与えた事実について反省し、深くおわびする」と謝罪した。国は常時率先して啓発活動を続けてもらいたい。
患者は現在、御殿場市の駿河療養所をはじめ全国15施設に2500人余が入所し、平均年齢は79歳。国賠訴訟全国原告団協議会の谺(こだま)雄二会長(77)が「取り返しのつかない犠牲を被った先輩たち」と涙するように、無念のまま亡くなった人は2万5228人に上る。
ハンセン病の現実は松本清張の小説「砂の器」にも描かれる。誤解に満ちた社会で患者たちが受け続けた差別や偏見は計り知れない。多くは青春期に発病、家族とも古里とも断ち切られ名を伏して、遠くの見知らぬ土地に隔離された。残された家族も一切口を閉じる暮らしを強いられてきた。
<診断を今はうたがうはず春まひる癩に堕ちし身の影をぞ踏む>とうたった歌人明石海人も「最後の癩者たらむ覚悟」で<世の端のその端に住み柿吊す>とよむ俳人村越化石も、うまれ育った静岡の地を捨てさせられている。強制隔離から100年。数えきれぬ献身の努力が実ってらい予防法が廃止、補償法も制定され、正しく理解する週間が設けられたが、呼びかけは心もとない。開かれた療養所を目指すハンセン病問題基本法も社会復帰の手立てとなるのか。
閉ざされた年月を取り戻すべく谺さんは「日常生活の中に療養所を置いてもらいたい。それができないなら日常社会の声を届けてもらいたい」とも望むが、患者たちは依然、隔離状態のままだ。訪問者に歴史と現状を解説し、入所者との交流を手伝う市民ボランティアガイド養成に取り組み始めた施設もある。あくまで地域の篤志頼みであって、共生への国の具体的な動きは見えない。
ハンセン病だけではない。歴史の恥部を引きずった差別や偏見もまかり通っている。引退した野中広務さんが在日の辛淑玉さんとの対談集「差別と日本人」(角川書店)で、政治の最前線でも受けた深く重い差別の実態を告発している。国民一人一人がいまだ残る差別や偏見を払いのけるために、毎年6月22日を悔悟の日としたい。

ハンセン病関係のリンク
ハンセン病資料館 http://www.hansen-dis.or.jp/
ハンセン病回復者とふるさとをむすぶ http://www.geocities.jp/furusatohp/
ハンセン病リンク集 http://www.eonet.ne.jp/~libell/main.html
Personal Health Center(PHC) http://www.mars.dti.ne.jp/~frhikaru/
ハンセン病について(PHC・NO.8) http://www.mars.dti.ne.jp/~frhikaru/air/hansen.html
森山一隆のホームページ http://takaamami.fc2web.com/index.html
ハンセン病 モグネット http://www.mognet.org/hansen/
ハンセン病と私の人生(ブログ) http://takaamami.seesaa.net/
緑の牧場 http://ohtakunio.blog18.fc2.com/
ハンセン病図書館 友の会 http://www.tenro.net/lib_hansen/index.html
社団法人 好善社 http://www.kt.rim.or.jp/~kozensha/
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