SHRが終って、担任が教室から去ると共に、生徒たちは案の定直江の席へと集まって行った。 普段なら人の輪に率先して加わらない高耶も、今度ばかりは真っ先に直江に近寄って、一番良いポジションを取った。 「直江、……君」 椅子に座っていた直江がこちらを見上げる。 前髪を下ろした彼の顔は、普段見ているそれよりもずっと幼い。 いや、幼いというのは適当ではないか。年は生徒たちと同じでも、高校生にしてはやけに大人びていて、どこかしら厭世的な表情をしている。 そういえば、現実の世界の直江もここ最近はいつも厳しい表情ばかりで、笑顔を見たことが無い。 高耶は今目の前にいる彼の無表情な顔を、どうにかして五年前に初めて出逢った頃自分に向けてくれたような、優しい微笑に変えてやりたくてたまらなくなった。 ということで、相手を笑顔にするにはまず自分から、という規則に乗っ取って高耶は、なるべく親しみの持てるような笑顔(当社比)を直江に向けて自己紹介をした。 「オレは仰木高耶だ。隣りの席だから……これからよろしく」 言いながら妙な気分になった。直江に自己紹介などをするのは、四百年生きていて初めての行為である。 「ありがとうございます」 対して直江の返事はやはり素っ気無い。流石に相手は直江だけあって、なかなか一筋縄にはいかないようである。 (ま、言うなれば初換生時の直江を手なずけるようなモンだからな) 納得して次の言葉を切り出そうとしていると、隣りからクラスメイトの矢崎が割り込んでくる。 「なんだよ仰木ぃ〜。さっそく転入生に喝いれてんのか〜?」 確かに、本人にそのつもりはなくても、17の頃とは比べ物にならないほど遥かにグレードアップした威圧感を身に纏う高耶が、見たことも無いような大人っぽい笑みを浮かべて、転入生に声を掛けているさまは、城北高校時代のクラスメイトたちには「静かに難癖つけている」ようにしか見えないのだ。 しかし高耶は真剣だ。大人になったとは言え、事が直江のこととなると冗談がまったく通じなくなってしまう。 高耶は明らかにちゃかした矢崎の言葉に、「余計なこと言うんじゃねぇ!」と般若のごとき形相で彼をギッと睨みつけた。 ビビクッと矢崎が震える。 「な、なんだよ。別に冗談だって……」 はは、と引きつった笑いを浮かべた矢崎は数歩後ろに下がり、前の席で様子を眺めていた千秋に近寄って、小声で囁いた。 「な、なんか……今日の仰木やたらと迫力ねぇか?」 「っつーかむしろ俺は、あいつが転入生にわざわざ挨拶してるってトコが信じられねぇな」 まったくもってその通りだと、矢崎が頷いていると、そこに隣りからアルトの声が上がる。 「ちょっと、邪魔しちゃ駄目じゃん矢崎くん。仰木くんは真面目に直江くんとお友達になろうとしてんだからさぁ」 である。矢崎を睨みつけながら彼女は小声で言った。 千秋と矢崎は彼女の言葉に目を見開く。 「「オトモダチだぁ〜っ?」」 そうこう言っているうちに、直江は他の生徒にどんどん取り囲まれていっていた。 「ねえ、どうしてこんな時期に編入してきたの?」 「宇都宮からは家族と一緒に?」 「部活はどこか入る?」 「教科書はあるの?貸そうか?」 次々と矢継ぎ早に質問が飛ぶ。 (くっそぉ、オレの直江に気安く近づくんじゃねぇぞ……) 高耶の無言の圧力も、興奮している女子たちにはあまり効果がないようだ。(ついでに言うとまだあなたのモノではない) そんな高耶を尻目に、直江は女子たちの質問に答えた。 「編入は家庭の事情で。家族はそのまま宇都宮にいて、松本の親戚の家に世話になっています」 滝のように降る(主に女子の)質問攻めに、直江はたじろぐどころか、見事なまでの無表情で言葉短く返していく。 直江のクールで丁寧な口調に、女子たちは感動のあまり「かっこいい〜」と連呼しまくっていた。そこらの男子がやっても格好がつかないが、高校生にも関わらず、直江の「ですます口調」は何故かこの上なくサマになっているのだ。 はしゃぐ女子たちの様子を苦々しく眺めながら、高耶はふと、唐突に思った。 (実際に直江が高校生の時も、こんな感じに無表情で素っ気無いやつだったんだろうか……) やがてチャイムが鳴る。一時間目の授業の仕度をしなければならない。 生徒たちが解散して席についていくと、一時間目の教科担当教師がガラガラッと戸を開けて入ってきた。 「あんたたち早く席に着きなさいっ。授業はじめるわよぉ〜」 聞き覚えのあるそのやたらと明るい声に、まさかと思ってその教師を見た高耶は、あんぐりと口を開けた。 (は、……はははるいえええぇぇぇ〜〜〜ッ!) スカートをなびかせて入ってきた教師は、間違いなく門脇綾子だった。 あまりの出来事に石化している高耶の背を、ホレ、と千秋が席につくよう押してきた。 「俺日本史の授業は結構好きだぜ。なんたって綾子センセェ美人だし」 千秋の軽口に、高耶は愕然とした。 「……気は確かか千秋」 「あん?何が?」 「……いや、なんでもない……」 ヨロヨロとした足取りで席に着く。 自分の夢ながら、思えば無茶苦茶な設定である。直江は生徒でクラスメイトだし。綾子は日本史教師だし。 (日本史教師かよ……似合うんだか似合わねぇんだかよく分かんねぇ……) 席に座るなり、手前のが話しかけてきた。 「直江くんと話せた?」 突然の問いに、高耶が目を瞬く。 「……一応は」 「そう、良かったねぇ」 嬉しそうに微笑んで彼女は前に向き直ってしまった。 高耶は訳が分からず眉をひそめる。 (今のはどういう意味なんだ?……もしかして宣戦布告か?) 的の外れたことを思いながら、号令と共に授業初めの挨拶をする。 「きりーつ、礼。」 「「「お願いしまーす」」」 「着せーき」 ガタガタッと生徒たちが座ると、綾子は目線をめぐらして直江を見つめ、明るい声で告げた。 「あなたが今日から来た転入生の直江信綱君ね。日本史担当の門脇綾子です。これからよろしく。教科書はもう揃ってるの?」 「いえ、まだです」 「そう、それじゃあ隣りの席の仰木君」 「……はい?」 綾子は高耶の名をいきなり呼んで、おもむろにツカツカと近寄ってくる。 かつての城北高の女教師に、高耶にここまでなんの構えも無く話しかけてくる者は一人としていなかった。酷い者になると、触らぬ神に祟りなしとばかりに必要以外は完全無視する教師がいたほどだ。 流石に綾子が物怖じするわけがないが、もしも実際にこういう教師ばかりだったならば、五年前の自分ももう少し通いやすかったのではないだろうか。 (この夢ってひょっとして……満たされなかった高校生活の、「こうであったら」っていうオレの中の願望なのか……?) そんなことを考えているうちに、綾子がどアップまで近づいてきていた。 「直江君に教科書見せてあげてね〜」 綾子はそう言うと高耶の机をズズッと引き寄せて、隣りの直江の机とくっつけてしまった。 もちろんのことだが、直江の身体とは至近距離である。 (よ、よくやったぜ晴家!) これで少なくとも今日一日はこの体勢で授業を受けられる。思わず拳を握り、高耶は教科書を直江と自分の机の境に置いて、彼に見えるようにした。 「ありがとうございます」 「いや……いいよ」 直江の会釈に、高耶は照れたように返した。 これを機に、一気に直江と親しくなれれば儲けものだ。 手前の席では、が二人を見ながら密かに興奮している。 (よっしゃ!これで二人は急接近!) 「それじゃあ授業始めましょう。教科書の135ページ開けて。今日は戦国時代の続きをやります」 ズベッと高耶はすべりそうになった。 (よりにもよってその時代かよっ!) 「どうかしましたか?」 隣りの直江が覗き込んできた。 「いや……なんでもない」 返事を返して、高耶は気を取り直しページをめくる。 直江が首を傾げている。高耶はなんだか感動した。自分を気にかけてくれる直江が、当たり前のことながら無性に嬉しく感じる。 (もっと、日ごろから直江に感謝しないと駄目だよな……) 彼から与えられるものを当然と思っては駄目だ。現に今の自分は、直江をこちらに振り向かせようと躍起になって画策しているくらいなのだから。 彼からもらう想いは、常日頃徒や疎かにしてはならない貴重なものなのだ。 目が覚めたら直江に礼を言おうと、高耶が心に決めていると、教壇に立つ綾子はチョークを持って黒板になにやら書き始めた。 “北条早雲” 「今日は北条早雲の所から。彼は拠点を相模の国、今の神奈川に置いて活躍した戦国武将の中でも“下剋上”の代名詞と言われる武将です。『国泥棒』というあだ名もあり、元の名は伊勢宗瑞、伊勢新九郎長氏とも。出生は謎とされる所が多いのですが、最近の研究では……」 高耶は眉根を寄せながら綾子の話を聞いた。 (オレの曾祖父を悪く言うんじゃねぇぞ。晴家だって北条家とは縁浅からぬ仲だろうが) 胸中で文句を言いながら、それでも一応授業を聞き入った。北条の話をされると、やはり胸の奥に引っかかったしこりが疼く。 それにしてもリアルな夢だ。よもや高校の授業を再びこんなに懸命聞くはめになるとは思わなかった。 「……それで少し話は脱線しますが、北条家は実は美形ぞろいで有名なんですよぉ。北条氏康も美男子だったそうですが、その正妻の瑞渓院は絶世の美女と言われていて、氏康の息子の北条七兄弟もさぞや皆美形ぞろいだったことでしょうねぇ。特に七男の北条三郎……のちの上杉三郎景虎は、系譜書の謂れ書きに『三国一の美少年』と書かれたり、彼の美貌をもじった戯れ唄が流行するなど、世に比類無き絶世の美貌の持ち主だったと言われているんです」 ズベェッ! 高耶は思いっきり机に突っ伏した。笑いを堪えるために必死に唇を両手で押さえている。 (な、なななにもそんな話しなくたっていいだろ晴家えええぇぇぇぇーーーッ!しかも褒めすぎだあああぁぁぁーーーーーッ!) ピクピクと、机に突っ伏しながら震える高耶を、隣りの直江が心配そうに覗き込んできた。 「どうかしましたか、仰木くん。具合でも悪いんですか?」 「……い、……いや、なん、でも……」 震えながらどうにか返事をした。様子のおかしい高耶に直江は流石にいよいよ心配になってきたようで、気遣わしげにこちらを見つめている。 (……うれ、しいけど……は、腹……痛てぇ……っ) 綾子も高耶の様子に気付いて目を丸くした。 「どうしたのっ。仰木くん具合悪いのっ?」 「……いえ、別に、何でもありませんから」 「そう、ならいいけど」 ホッと息を吐くと、綾子は再び先ほどの話題に戻った。 「それにしても『三国一の美少年』ですよ。三国って分かる?当時の三国は即ち日本、中国、インドのことで、つまり三国一っていうのは世界一っていう意味なの。世界一の美少年だなんて、一度見てみたいものよね〜」 (よく言うぜ……。その張本人の第一の家臣として四百年も一緒にいたくせによ) 大分呼吸が平常に戻って、高耶は姿勢を正した。 直江もその様子を見て安心したようである。 横目に直江を見つめた。 (あ、でも……第一のって言っても、おまえは特別だから……) 聞いてもいないのに、高耶は直江に弁明してみせる。 そんな高耶にも気付かず、直江は黒板に書かれた内容を無心にノートに写している。 (なんか……片想いっつーのはやっぱ辛いもんだな……) 一方通行の想いに高耶は思わず溜息をついた。 手前の席では、が頬肘をつきながらうっとりと綾子の脱線話を聞いている。 (三国一の美少年ですってぇ?めっちゃ見てみたいわー。まぁ、仰木くんと直江くんも相当イイ線行ってるとは思うけど……) は後ろを振り向いた。背後の二人は、確かにブラウン管の中でもそうそう見ないような超美形である。 直江は下を向いてノートを書いているが、高耶は横目で直江の横顔にうっとりと(←ヴィジョン)見入っている。 (フッフッフ。お似合いお似合い♪) どうにか二人の仲を取り持ってあげなきゃと、は闘志に萌えて……いや、燃えていた。 to be continued...... |