やわらかな日差しの差し込む午前八時二十五分。 がやがやと騒がしい教室内、生徒たちは朝からリーダーの予習やら宿題の写しあいやらで忙しい。 そんな城北高校の日常的な風景の中、窓際の一番後ろの席、仰木高耶は窓の縁に顎肘をつきながら眼下に見える松本の街並みを見下ろしていた。 「眠ぃな……」 欠伸をしながらそう気だるげに呟いたとき、後ろからバコンッと頭をはたかれた。 いてっと声を上げて後ろをすぐさま振り返ると、そこには分厚い教科書を手に持った、クラスメイト・千秋修平が立っていた。 「あんだよ千秋」 高耶が不機嫌も露に眼を眇めると、千秋は椅子に座る高耶を見下ろしながら、ニヤリとした笑いを浮かべた。 「なぁ、聞いたか仰木」 「何が」 「今日、ウチのクラスに転入生が来るって噂」 高耶は目を丸くした。初耳である。高校になって転入生とは珍しい。 「……それ、確かなのか」 「ああホントホント。ホレ、ここに新しい机が出してあんだろ。残念ながら男っつー話だけどな」 千秋の言葉に視線を横に移すと、なるほど、高耶の隣に昨日までは無かった机と椅子が一式置いてあった。 そういえば周りの生徒たちも、いつになくソワソワとして落ちつかなげである。 (どんなヤツだろ……) これから二年間近く付き合っていく相手だ。しかも隣りの席で。他人に興味が希薄な高耶も、多少なりとも気にはなる。 それは転入生とは一つ手前の席にあたる千秋だとて同じのようで、朝のSHRになる時間を、他の生徒と同様今か今かと待ちわびていた。 キンコーンカァーンコォーン♪キンコーンカァーンコォーン♪ そしてチャイムが鳴り響いた。 城北高校のチャイムは微妙に拍子が複雑だ。小学校から中学までの一般的なリズムのチャイムに慣れていた高耶は、中学三年の三月、入試の際に初めてこのチャイムを聞いたとき、あまりの調子はずれなリズムに気が抜けたものであったが、二年生となったいまではすっかりこれが普通になって、全く違和感を感じなくなってしまった。 そんな妙なBGMと共に千秋が自分の席に着いたのと同時、二年三組の担任がドアを開けて入室してきた。室長が号令をして、担任がクラス名簿や配布物を教卓の上に乗せると、彼は生徒たちの顔を一つ見回してこう告げた。 「もう聞いているかもしれないが、今日からこのクラスに転入生がくる」 生徒たちがざわめく。静かに、と担任が声を上げて、室外の廊下へと目線を移した。 「それじゃあ入って」 その声と共に、ドアの影に佇んでいた人物が動く。 緊張の一瞬。 生徒たちが固唾を呑んで見守る中、その人物は教室内に姿を現した。 途端、生徒のざわめきがいっそう激しくなる。 スタスタと歩みを進める彼は、学ランを身につけていた。 均整の取れた長身の肢体に、漆黒の制服。対して髪はやわらかそうな濃褐色。 無表情な顔立ちは、女子はもちろん男子も思わず見入ってしまうぐらい端整で、動作に隙がなく、少し長めの前髪から覗く鳶色の瞳はどこか冷たい光を宿していた。 「うわなにっ、あれが転入生っ?」 「すっごいかっこいい〜!」 女子たちがあげる黄色い声を意識の遠くで聞きながら、教室の最後尾に座る高耶は、あまりの驚愕に目をはちきれんばかりに見開いていた。 (あ、ああぁあいつは……ッ) 視界に映った瞬間、思わず上げそうになった叫びを噛み殺して、高耶は茫然と教宅の横に佇む人物を凝視し続けている。 (ま……さか……) 信じられない思いの高耶をよそに、担任が黒板に転入生の名を記した。 「直」、「江」、「信」、「綱」。 「宇都宮から編入してきた、直江信綱君だ。これから皆仲良くしてくれ」 「よろしくお願いします」 その転入生──直江は、礼をしながらよく通る低い声で告げた。 「うわぁ直江くんだって」 「すっごかっこよくない?」 「タレントとかじゃないよねっ」 教師の制止も聞かず、はしゃぎまくる女子たちとは反対に、高耶は声もなく押し黙っていた。 しかし、胸中には絶叫が轟いている。 (なんで直江がここにいるんだあああぁぁぁぁーーーーッ!) しかも学ランだ。学ラン。目の前にいる彼は変に落ち着いてはいるものの、自分と同じ16・7歳ぐらいにしか見えない。 なぜ若返っているのか。いや、その前になぜ城北高校に直江が転入してこなければならないのか。 高耶は右斜め前の千秋のほうを見た。しかし予想に反して、彼はさほど驚いているようには見えず、興味津々といった様子で教卓の横の直江少年を眺めているだけだ。 (あいつは知っていたのかっ?) 「それじゃあ直江、この列の一番後ろの空いてる席に着いてくれ」 担任に促されて、直江は教壇から千秋の後ろの席へと歩を進めた。 鞄を置いて椅子に座ると、千秋が振り返って彼に声を掛ける。 「俺は千秋修平っての。ヨロシク」 「……よろしく」 無愛想に答えるその様子を、高耶は再び凝視した。 何かがおかしい。今の千秋と直江のやりとりに、なんとも言い難い違和感を感じた。……白々しさがないのだ。今の会話ではまるで、二人があたかも本当に初体面の相手同士であるかのようだった。 《どういうことだ、直江っ》 高耶は思念波を送った。だが直江はきっぱり無視して、鞄の中から筆記用具を取り出している。 《おいっ直江!》 続けて送っても直江は応じない。 ちくしょう無視かよっ!と舌打ちしたが、唐突に悟った。 (聞こえていないのか?) そう思ったとき、直江がこちらを向いた。目線が合う。 彼は自分を睨みつけている隣席の男子に少し怪訝そうな顔をして見せたが、すぐに無表情に戻ると、「よろしく」と素っ気無く言って再び前に向き直ってしまった。 高耶は再び茫然とした。 (どういうことだ) 直江が自分を見ても何の反応もないなんて、明らかにおかしい。いくらポーカーフェイスが上手いとはいっても、「演技である」という気配さえしないのだ。 先ほどの自分を見る直江の眼。まるで初対面の相手に向けるかのようなそれ。いや、そのものと言って差し支えなかった。 本当にどういうことだ。直江が自分を知らない?馬鹿な。そんなことあるわけが……。 高耶は目の前に立ち起こる世界に思わず混乱した。 だが、混乱はやがて打ち消される。 突然悟ったのだ。 (そうだ。これ夢だ) ポンッと、手を叩いた。 そうだ、夢だったのだ。間違いない、これは夢だ。 だって、そうだろう?直江が若いとか学ランだとかどうとか言う以前に、明らかにおかしな点が一つある。 よく考えたら、自分は赤鯨衆の西の総軍団長・仰木高耶ではないか。 大体、自分が城北高校にいるというその時点で既に間違っていたのである。 そう思い出したら、「なんだ」と途端に気が抜けた。 何のことはない。これは夢だ。夢の世界に理屈を求めてはいけない。辻褄の合わないところも、夢ならではのエッセンスだ。 どうやら今自分は、「城北高校に、見知らぬ転入生・直江信綱がやってきた」という設定の夢を観ているらしい。 そして高耶は再びハッと悟った。 (なんか……めちゃくちゃおいしくないか?これ) 俄然高耶は興奮した。よく考えずとも、同い年でクラスメイトの直江だなんて、現実では絶対にありえない設定ではないか。(しかも学ランだ) 高耶は直江をチラリと見た。すると、視線を感じたのかちょうど直江もチラリとこちらに目線を向けたので、二人の目が一瞬合ったが、すぐに何の感慨もなくそらされてしまう。 (脈は無しだな) 机に顎ひじをついて冷静に分析した。 おもしろい。せっかくこんな愉快な夢を見ているのだ。これは思う存分楽しんでやらない手はない。 目が覚めるまでの間に、直江に猛烈アタックをかけて彼を見事ゲットしてみせるのだ。 高耶は燃えた。まるで恋愛シュミレーションゲームのようだ。 ゲームと言えば高耶は格ゲーかロープレ、アクションが専らで、いわゆるギャルゲーというものはあまりやったことがない。 ゲーマーの友人にギャルゲーの草分け・とき○モを一度借りたことがあるだけだ。 直江は男だからギャルゲーと言うよりはボーイズだが、(笑) 萌え度はかなり高耶のピンポイント直撃であった。 (絶対オトしてやるぞ、直江っ) そう心で高らかに宣言して、横目で直江をねめつけていると、 「仰木くん、仰木くん」 突然前方から声を掛けられた。 女子の声である。自分に気安く話しかけてくる女子なんて森野紗織ぐらいなので、てっきりそう思って目線を前の席に向けたのだが、 (……誰、だ?) そこには見知らぬ女子が座っていた。城北高校の茶系の制服に身を包んだ彼女は、ショートの黒髪に、少し痩せすぎなくらい細い首。眉と奥二重の双眼が女の子にしてはキリリとしすぎていて、少女と言うよりはまるで少年のような顔立ちをしている。 高耶は目を瞬いた。食い入るように見つめてみたが、全く見覚えが無い。誰だ、この女子生徒は。 「なんか、掛け値なしの美少年って感じだよね」 直江をチラチラと見ながら小声で楽しそうに話しかけてくる。高耶は彼女を知らないが、口ぶりから察するに、彼女は高耶を知っているようだ。 「どうかした?」 じろじろと自分を見つめてくる高耶を、怪訝気に見返してくる。 「いや……何でも」 視線を彼女の椅子の背に移す。城北高では、そこに席の主の名前入りシールが必ず貼られているのだ。 その小さな字を凝らして見てみると、マジックで「」と書かれている。 (……?知らねぇな) 夢の中のオリキャラってやつだろうか。いよいよもってTVゲームのようだ。 だとすればこの少女は直江をめぐって自分と争そい合う、ライバルキャラってところか。 (もっとも、こんな小娘ごときがオレと対等に渡り合えるわけがねぇけどな) 高耶の瞳に炎が宿った。上杉景虎の本気の眼だ。 (オレが本気を出して直江をオトせないなんてことは天地神明にかけて有り得ない!待ってろ直江、じわりじわりとオレの毒牙にかけていってやるからな!) フフフフフ……と忍び笑いを漏らしながら、高耶は横目に学ラン少年直江を見た。 そんな隣席の妖しい気配にも気付かず、直江は無表情に担任の連絡事項に耳を傾けている。 高耶の様子に逸早く異常を感じたのは、「推定ライバルキャラ」であった。 「ちょっと。もしもし、仰木くん?」 の声も耳に入らず、高耶はこれからの「直江アタック計画」を脳内で猛烈な速さで綿密に練り上げていっていた。 は高耶のその悦に入った表情をしばし眺めて、嬉しそうにクスッと微笑む。 (うわ、ひょっとして仰木くん直江くんに一目惚れ?やったぁ、美形男子同士だぁ。私仰木くんには絶対変なオンナとくっついてほしくなかったんだよね〜) 相手が直江くんなら文句無し。断然応援するからね!仰木くんッ!……と、拳をグッと固めて胸中で誓っていた。 ……どうやらこの女子生徒、高耶の思っているようなキャラクターではないことだけは、間違い無さそうだ。 to be continued...... |