「"高瀬"って?」 「それは...わたしの"旧姓"っていうか...」 「前田ちゃん、結婚してたの!?」 雪野のことばに要は目を丸くする。 「...わたしじゃなくて、母親がね。」 「あ〜なるほど。」 要、納得。 「お母さん、再婚したんだ。」 「うん、4月に。」 雪野の父親は雪野が生まれる前に交通事故で亡くなった。 そして、雪野の母親は女手ひとつで雪野を15年間育ててくれたのだ。 雪野の母・知佐子はよその家族に負けないくらいの愛情を雪野に注いでいたが、生活面ではどうしても行き届かないところもあった。 雪野が小学生の時に風邪をこじらせて肺炎になりかかったことがあった。 それまでは黙って見守っていた雪野の父方の祖父母もとうとう我慢できず自分たちで雪野を育てると言い出した。 もちろん知佐子はこの申し出を断ったが、そのとき雪野は自分と母が引き離される可能性があることを知った。 それ以来、雪野は"いい子"になることを心に決めたのだった。 母のお荷物にならないように、また、ふたりでもちゃんとやっていけるということをまわりの人々―特に祖父母にわかってもらえるように。 "肺炎騒動"以来、知佐子の母が田舎から出てきて一緒に暮らすようになったが、雪野は家事全般をきっちりこなし勉強もがんばった。 学校ではクラス委員をまかされるようになり、まわりに一目置かれる存在になった。 雪野はうれしかった。 母に"自慢の娘"と言われて、自分のいままでの努力がむくわれたことを。 これからも母と祖母との生活を続けていくことができる確信を得たことを。 しかし、雪野が小学校を卒業する頃に祖母が亡くなり、しばらくしてから生活に異変があった。 "あの人"が現れたのだ。 最初、雪野にとってその人物は母とふたりの生活において単なる脇役にしかすぎなかった。 しかし、彼が自分たちの生活に大きな役割を持っていることを知ったとき雪野は心の動揺を隠せなかった。 そして、"あの人"といるときの母の姿にも。 彼へと向ける母の表情は雪野がいままで見たことのない幸せそうなものだった。 雪野はとてもショックだった。 自分が15年間見ることがなかったその顔を彼がいとも簡単に引き出したことに。 「お母さん、もうわたしのこといらなくなったのかなぁ...」 そうつぶやいた雪野の目には涙が光っていた。 止まらなくなった涙を隠すように雪野はうつむいた。 黙って話を聞いていた要は雪野の頭に手を乗せた。 「うちはずっと両親そろってるからそういうのよくわかんないけど...お母さんは3人でしあわせになりたかったんじゃないのかな。 あくまでもおれの推測だけど。」 「う...」 うつむいた顔から涙がぽたぽたとこぼれていった。 要は雪野の頭をぽんぽんとたたくとくすっと笑った。 「? なに?」 顔をあげた雪野はまだ涙でぐしょぐしょだった。要はハンカチを差し出した。 「いや...実は天もね、前田ちゃんと家庭環境というか家庭事情が似てるんだ。それなのに、なんで天はあんな、っていうか前田ちゃんみたいにしっかりしなかったのかなぁ?、って思って。 やっぱおれらが甘やかしちゃったからかなぁ。」 天は6歳の時に母親を亡くした。 それまで親子3人でアメリカで生活していたのだが、父親ひとりでは面倒がみれないということで、日本に帰国し要の家族と共に生活することになった。 天が中学に上がるときに父親は帰国した。再婚相手といっしょに。 初めのうち、天は父や義母となる博子に反発し、要の家にかけこむこともしょっちゅうだった。 しかし、徐々に3人が歩み寄っていきなんとか"家族"の形におさまることができた。 「といっても、途中すごかったよ〜。 天と博子さんがつかみ合いのケンカになったりして。」 "今ではいい思い出"ということなのか要は笑いながらそう言った。 その顔は"あの時"と同じになっていた。あのやわらかく優しい表情に。 ドキン。 (やっぱり好きなのかなぁ...) いつもと違う感じの鼓動に雪野は戸惑いを隠せなかった。 「今は博子さんと親父さんも仕事の関係でうちの両親といっしょにアメリカにいるんだけど、家族仲いいよ、あの家。」 「え? ふたりはどうしていっしょに行かなかったの?」 「学校とかいろいろめんどくさかったし。天は一応6歳まで向こうに住んでたけどほとんど覚えてないらしいし。あいつ、帰国子女のくせに英語苦手なんだよ(笑)」 「じゃあ、ふたりとも今はひとりで暮らしてるの?」 「ううん。おれの実家は今、人に貸してるもんで、天のマンションで二人暮し。」 「あ、そんなうわさ聞いたことあるかも...」 天派だか要派だかの子がきゃーきゃー言っていた気がする。 「で、今朝は天がなかなか起きなかったもんで会議に間に合いませんでした。」 要はまたぺこりと頭を下げた。 「そうだったんだ。って要くんが毎朝起こしてるの?」 「あいつ、寝起きめちゃくちゃ悪くてねぇ。前に会議あったときはちょっと声かけただけで置いてきちゃったら、そのまま学校に来なかったもんで...。」 「大変だねぇ。」 雪野はしみじみと言った。涙はもうひっこんでしまっていた。 「あ、こんな話はどうでもよくって!!」 話がそれてしまったことに気づいた要はあわてて軌道修正しようとした。 「俺が言いたかったのはね、"時が解決してくれる"んじゃないかな、ということ。」 「う〜ん、どうかなぁ。」 (それで片づく問題だったらよかったんだけど...) 雪野は複雑な表情で笑った。 「あ、そういえば、一個謎解明!!」 「え?」 それぞれ帰り仕度をしているときに突然要が言った。 「前田ちゃんが名字で呼ばれても返事をしないことがあるのはまだ呼ばれ慣れてないからだったわけだね。」 「そんなことあった...?」 「何度かね。」 「...これから気をつけます。」 「はいはい。」 補習中の天を待つという要と教室で別れた雪野はまっすぐ昇降口には向かわず反対方向へと歩いていった。 ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ 雪野のお母さん&お義父さんにはいずれ活躍してもらう...予定(あくまでも予定^^;) [綾部海 2003.10.20] |