(記)
ふとしたことで始めた回想記が、膨らんでしまってもう原稿用紙換算で200枚以上になりました。
言わずもがなの駄作なのですが、読み返してみると愛着があります。
自分のことを書いているからかしら、とも思うのです
これを他人が見てもつまらないだろうな、と思いながらまた載せています。
今は、本当に便利な時代です。
本の形にしなくても自分の主張を発表する場所があります。
読む人は有り余る資料の中から適当に自分にあったものを探し出し読めばよい。
だから私のようにつまらない文章をだらだら書きなぐっていると、絶対に誰も読まないのでしょう。
なんと虚しい作業か、とタバコの脂に煤けた部屋の天井を見上げます。
もうこんな非生産的な道楽は止そうと、タバコの火を灰皿にもみ消します。
そうしてワードを開き「ジジは原稿を書くのをやめた」と、また書いてしまうのです。
老人の暇潰しともいえます。
それとももしかすると、執筆という作業にはニコチンと同じような習慣性があるのではないでしょうか。
実は私の執筆には一人だけの読者がいます。
彼女は凄く美人の人妻で、しかも小説を数冊だしているレッキとした小説家です。
新しいお話しを書くと私は先ず彼女に原稿を送ります。
彼女から返事が来るのをワクワクして待っています。
大抵はお褒めの言葉をいただくのですが、先日は「此処には伏線が欲しいですね」と、ご注意をいただきました。
このご注意がなんとも嬉しい。
いつか褒めていただいても、素直に喜べる文章を書いてみたいものです。