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じじの懐想

(記)


ふとしたことで始めた回想記が、膨らんでしまってもう原稿用紙換算で200枚以上になりました

言わずもがなの駄作なのですが、読み返してみると愛着があります。
自分のことを書いているからかしら、とも思うのです
これを他人が見てもつまらないだろうな、と思いながらまた載せています。
今は、本当に便利な時代です。
本の形にしなくても自分の主張を発表する場所があります。
読む人は有り余る資料の中から適当に自分にあったものを探し出し読めばよい。
だから私のようにつまらない文章をだらだら書きなぐっていると、絶対に誰も読まないのでしょう。
なんと虚しい作業か、とタバコの脂に煤けた部屋の天井を見上げます。
もうこんな非生産的な道楽は止そうと、タバコの火を灰皿にもみ消します。
そうしてワードを開き「ジジは原稿を書くのをやめた」と、また書いてしまうのです。
老人の暇潰しともいえます。
それとももしかすると、執筆という作業にはニコチンと同じような習慣性があるのではないでしょうか。
実は私の執筆には一人だけの読者がいます。
彼女は凄く美人の人妻で、しかも小説を数冊だしているレッキとした小説家です。
新しいお話しを書くと私は先ず彼女に原稿を送ります。
彼女から返事が来るのをワクワクして待っています。
大抵はお褒めの言葉をいただくのですが、先日は「此処には伏線が欲しいですね」と、ご注意をいただきました。
このご注意がなんとも嬉しい。
いつか褒めていただいても、素直に喜べる文章を書いてみたいものです。

居合い抜き
ジジ
居合い抜きというと座頭市を思い出します。目にも留まらぬ速さで敵をスパスパッと切る曲芸のような刀捌きです。
ジジの子供の頃近所のおじさんが、本当の居合い抜きの練習をやっていました。
居合い抜きには真剣を使います。偽物や、歯止めをした刀だと、どうしても緊張が緩むので練習にならないのだそうです。
おじさんはよく、手に包帯を巻いていました。刀を鞘に収めるときに鞘口を握っている左手の親指と人差し指の間を切ってしまうのです。
正座して深く礼をします。それからゆっくり立ち上がります。腰に手を当て、刀をスルスルと抜きます。「えい、やっ。」の掛声とともに、刀を振ります。刀を懐紙で拭い、鞘に収めます。実にゆっくりした動きでした。おじさんはゆっくりした動きの割りに、暑い季節でもないのに、よく汗をかいていました。体育館のわきに正座して見学していたジジの父さんがいいました。
「おじさんは、いま人を切ったんだ。人を切るのは大変なことだ。だから汗をかいているんだよ。」
「ふーん。」と感心したものの、その意味を理解したのは何十年も後のことでした。

ジジの父さんは戦争にゆきました。中国人を捕虜がいたそうです。ある日捕虜が脱走を企てました。捕虜は捕まえられて、刑を受けることになりました。父さんの上官が、父さんに「切れ。」と命令しました。切らなければ命令違反か反逆罪かで、父さんが切られてしまいます。
戦争とはそういうものなのです。お国のためといいながら国民の誰もが戦争を嫌がっている。人なんか殺したくないと思っている。ここのところは別の紙にでも書きましょう。
とにかく父さんは切りました。
「いやだった。」と洩らした言葉の中に、居合い抜きの意味を感じました。

 じじは五十歳ちょっと前に気持ちの悪い夢を毎日、見続けたことがあります。
 突然目が覚めると、誰かが誰かを追いかけて切りつけます。
 一面が血の海になりジジは、溺れてしまうのです。
 何日か後に少し慣れてきたジジは、切ったのは誰だろうと、目を凝らして見ました。見えません。又何日かたちました。切った人間がついにこちらを振り向きました。あっ、見える。それはジジ自身でした。その日からはジジが切る人間になりました。でも誰を切っているのか解りません。俺が切っているお前は誰だ。そう思いながら切りました。何ヶ月も切り続けて、ある日のことです。もう布団に入るのも嫌でした。でも寝なければ明日の仕事に障ります。うとうとするともう刀を持ち、切りつけている自分がいます。お前は誰だ。すると切られる人が一瞬暗闇から姿を見せました。顔は見せませんでしたが、ジジには誰かすぐにわかりました。それはジジ自身だったのです。
 ジジは声を出さずに笑いました。そして安心してジジを切りました。切られたジジも静かに笑いました。
 それからはこの夢を見なくなりました。
 何年か経ったとき=たそがれ清兵衛=という映画を見ました。感動しました。そのときふっと思い出したのです。
 居合い抜きでおじさんが切っていたのは、きっと自分自身ではなかったのか。