カーブで脱線しないようにレールが2本になっている。

切り株の入り口

名物のくびおれ(やくさば)の刺身やとびうおの唐揚げ

カメの手

かからんだんご 粉に黒砂糖とよもぎを練りこみ笹で包んで蒸したもの

小杉谷の小・中学校跡、この先の小屋で朝食をとった。

14:27 大株歩道入り口に帰ってきました。ここはトロッコ軌道の終点になり、今はトイレが建っている。トロッコは今でも使われている。

標高 1030Mにある切り株。1914年植物学者ウイルソンによって発見される。樹齢3000年くらいで、400年前に伐採され、秀吉に献上されたといわれている・周囲は13.8Mで、中は畳十畳ほどの空洞になっていて、清水が湧き出している。小さな祠が祀られている。また、上を見上げると空洞のかたちがハート型に見える方向がある。 旧藩時代に皆伐されたが、人工林と思われるほど立派に再生し小杉が育っている。屋久島原生林の更新の仕組みがよくわかる。

標高  1190M
樹高  24.7M
周囲  11.1M
根回り 43M
樹齢  3000年

 中は空洞で、縄文杉が発見されるまで、屋久島を代表する杉だった。全容を見渡せない。

12:25 大王杉

トロッコが2台しまってある。

屋久杉とともに

更新され育っている小杉

切り株の中から上を見るとハート型に抜けている。

切り株の中の祠

清水が湧き出す

切り株の中

2日目 縄文杉トレッキング

標高   1230M 
樹高 妻  25.5M  夫  22.9M
周囲     5.8M      10.9M
3M程の間隔をおいて2本の巨木が10M程の高さで枝が繋がっている。

今日は宮之浦岳登山の予定だったが、明日のほうがお天気が良いということで、縄文杉に先に行くことになった。朝5時に宿を出発して、荒川登山口に6時前に到着し、支度をして5時55分歩き始めた。最初は、平坦なトロッコ軌道を3時間ほど歩き、大株歩道入り口から山道に入る。標高600Mの荒川登山口から標高1300Mの縄文杉まで往復22KMの行程です。 実際はかなりのアップダウンがあり、階段や木道が整備された所と、岩がゴロゴロのところとか変化に富んでいました。日曜ということもあり、大変な人出で、とにかく先に縄文杉まで行こうということで、写真を撮る暇もなく、11時38分やっと縄文杉にたどり着きました。帰りは写真を撮りながらゆっくり下りました。

3日目へ

トロッコ軌道の終点

j標高  1000M
樹高  23.7M
周囲  12・6M
樹齢  2000年
 頂部は枯れているが、ナナカマド、サクラツツジなどの着生樹が多く根が幹を這って地面に達する。流れのそばで湿度が高く根元はコケに覆われている。 天気の良い日には後に翁岳が見えることからこの名前が付いた。

13:23 ウイルソン株

12:19 夫婦杉

水明荘での夕食

16:25 登山口に戻ってきました。朝は暗くて見えなかったが、荒川登山口の標識がありました。 

小杉谷 5.6Km
白谷雲水峡 8.3Km
縄文杉 1.9Km
宮之浦岳 8.3Km の標識

AM.11:38 縄文杉

樹高  30M(25.3Mと言う説も)
幹周  16.1M(16.4Mと言う説も)
根周り 43M

屋久島では、1000年以上のものを屋久杉と呼び、それ以下の木はコスギと呼ぶ。1966年、岩川貞次により樹齢7200年と紹介された。標高1300M地点にあり、以前は手で触れることが出来たが、根元を踏まれ、樹勢が衰えたため、立ち入り禁止になり、展望台がもうけられた。根元周辺の土壌の改善や排水、土留対策などを行なった。周囲にハイノキやシキミなどを植え、根を保護しようとしている。 最初は発見者の名前から「岩川杉」と言われていたが縄文土器の火焔土器に似ていることから縄文杉といわれるようになった。中は空洞になっているため正確な樹齢は分からないが、推定3000年くらいではないかと言われている。

トンネル

15:45 小杉谷橋

13:46 翁杉