2018.10.11~10.21

大黄河の壺口瀑布と中原地方の世界遺産巡り 11日間

早朝のフライトなので、前日に羽田近くのホテルに泊まり、当日羽田からAM.8時.30分発のCA184便で北京に向かった。約3時間50分のフライトで北京空港に着いた。日本との時差は-1時間で、早速時計を合わせる。バスに乗りこみ、PM.14時に北京空港を大同に向けて出発する。総勢18名の参加者だったが、関西空港組はホテルで集合するとことことだった。以前来たことがある「八達嶺長城」などを車窓に見ながら約5時間で大同のホテルに着いた。

毛主席路居館

懸空寺仏教、道教、儒教の三つを一体化した独自の宗教の寺院である。「玄空閣」と呼ばれていたことに由来する。玄は道教、空は仏教の教義に由来し、断崖の途中にぶら下がるように建てられていることから現在の名前に改められた。金龍峡の西向きの岸壁の途中にある。唐代の735年、この地に遊覧した李白は岸壁に「壮観」の文字を書き記した。鳥取県の三仏寺投げ入れ堂に似ている。投げ入れ堂は近づくことはできるが中に入ることはできない。

刀削麺、肉を皮に包んで食べる夕食をいただいて、長い一日が終わった。何故だか、数種類でた料理がこの2皿しか写っていなかった。写すより食べる方を優先したのかもしれない。

第3号石窟の仏像 

八達嶺長城

名前は京都の「金閣寺」と同じだが、創建は古く、840年。日本の僧円仁が五台山に上った時この寺に立ち寄っている。創建時は銅製の瓦と金箔による装飾で金閣寺と名付けられた。長い石段を上ると本殿があり、高さ17mの文殊観音像が祀られている。金色に輝いている。慈覚大師円仁はここに2か月ほど滞在し、北京に向かった。寺の裏手に円仁の碑があった。日本人が建てたようだ。

塔院寺をでて、予定にはなかった珠像寺にむかう。参道にはお店が並び、刀削麺の店先では、麺を刀で削っていた。線香を売る店や豆類を売る店が並び、ここで「松の実」を買った。

文殊菩薩の髪の毛を祀ってあるという白い塔。工事中ということで、直ぐに退散する。

文殊髪塔

塔院寺

懸空寺は北魏の末期(6世紀)に造られた仏教寺院で、空に懸かっているかのような切り立った岸壁の中腹に張り出すように立っている。全部で約80体の仏像が祀られた10棟ほどの建物が、細い桟道で繋がっている。

九龍壁

大同の市内観光をする。修復の進む城壁に囲まれた古城エリアを歩く。城壁は町の大きさに比例して、大同は一辺が1800m北京は2500m平遥は1500mと決められている。

華厳寺

無量殿

応県木塔

バスで約1時間の応県に移動する。中国最古の木造建築の応県木塔を見学する。

石窟や大きな仏像に圧倒され、郷土料理の昼食をいただく。

中国での最初の食事をいただく。郷土料理の夕食だった。刀削麺が有名である。

郷土料理の昼食をとって金閣寺に向かう。

毛沢東と周恩来の像が座っていた。

顕通寺の南側に唐代に創建された塔院寺は境内に高さ70mの明代の白塔を持つ。白塔は塔院寺というラマ寺の中にあり、境内には大きな法輪もある。法輪の奥には白塔の基礎の部分を建物で覆い、その周囲に小さな法輪を備え、白塔の廻りをぐるりと回れるようになっている。私達も法輪をまわしながら周囲を回りました。  その奥には文殊殿がある。

顕通寺はもともと十二院寺、または大華厳寺と言われ、菩薩頂から塔院寺まで包含していたが、それぞれが独立したため、変則的な配置となった。かって日本から来た僧も滞在し、各国の仏教徒にとって重要な場所となっている世界遺産である。

顕通寺

108段の石段を上るのだが、バスはその上まで上ってくれて菩薩頂に入った。この寺は五台山の中で一番大きなラマ教寺院で、北魏の孝文帝の時代(471~499)に建てられた。創建当時は青廟であったが、清代に黄廟に改変された。本山は文殊菩薩の住処ということで、菩薩頂、大文殊寺と呼ばれている。ここは五台山における黄廟、つまりラマ教の中心である。山門は石造り、山門に至る石段の中央には、九龍戯水の石彫りがある。九龍は皇帝の建築にしか許されない。

菩薩頂

五台は太原から230km離れた忻州市東北部に位置する。五台山は、四川省の峨眉山安微省の九華山浙江省の普陀山とともに、中国四大仏教名山のひとつ。古来より、敦煌の壁画に描かれたり、チベットのダライラマが訪れたりするほど名をはせていた。その規模は、周囲50km、総面積2837㎢に及ぶ。東台頂(2795m)、西台頂(2773m)、南台頂(2474m)、北台頂(3058m)、中台頂(2893m)と呼ばれ、その総称として五台山と呼ばれた、

ホテルを出発し、中国仏教四大聖山で文殊菩薩の聖地、最盛期には3000もの寺があった世界遺産・五台山を見学する。

五台山

車窓から明代の万里の長城を見ながら五台山へ約3時間30分走る。左右に揺れるバスに酔ったようで気分が悪くなり、頭がガンガンする。2500mの峠を越えてこの辺りは標高1700mと言うがまさか高度障害と言うことはないだろう。夕食の精進料理を食べられなかった。

1層目に祀られた高さ11mの釈迦如来坐像。

わずかだが、傾いているので、現在は上に上がることはできない。

1056年(遼時代)に創建された木塔。もとの名は「仏宮寺釈迦塔」高さ67.13mのこの塔は外から見ると八角五層に見えるが、内部は9層になっている。高さ4mの2層の台に築かれており、内外2本の柱と梁で組み立てられている。この仏塔が建てられて200年経った元代の大地震にもびくともしなかった。

ホテルを出発して約2時間走り、懸空寺に着いた。

3日目

大同の九龍壁は、北京の故宮内北京北海公園の九龍壁と共に、中国三大九龍壁と言われている。明の太祖朱元璋の第13子朱桂代の王府前の壁として1392年に建てられた。壁は長さ45.5m、高さ8m、厚さ2mで中国に現存する龍壁の中で最も大きい。瑠璃瓦で九匹の龍が描かれている。龍壁は建物の目隠しとして建てられる。主に王宮、親王府、寺院の入り口に建てられる。建物の荘厳さを引き立てている。

薄荷経蔵殿

華厳寺、遼金時代における華厳宗の寺院のひとつ。元代に焼失したが、明の宣徳年間(1426~1435)に再建された。15世紀末に上華厳下華厳に分けられ、各々に山門が設けられている。遼時代に建てられた下華厳寺は薄荷経蔵殿を主殿として、遼代の塑像が保存されている。金代に建てられた上華厳寺の大雄宝殿には、博物館も併設されている。

第20号石窟の仏像。石窟の頂上が崩れたため、正面の坐像が露天の坐像と呼ばれる。高さ13.7mで、顔がふくよかで、鼻梁が高く、唇がやや小さく、口ひげを生やしている。

第5号、第6号石窟の外の楼閣。

第10号石窟の前室にある須弥山。須弥山の中腹には龍、鳥、豚、狼が刻まれている。最下層には山と舞姫が彫られている。

第16号石窟にある仏像 顔形が痩せぎすで、唇が薄く、袈裟を羽織っている。今日の韓国の民族衣装に似ている。13.5mの立像。

第5号石窟のメインの仏像は釈尊で、後世には釈尊洞と呼ばれた。高さ17.7mで、唐の初期に化粧された。唇が豊かで、耳が肩まで垂れている。

武周山断崖の砂岩を切り開いて築かれた石窟は、東西1kmにわたる壮大なものである。主な洞窟は53窟あり、彫像は高さ数cmのものから、17mのものまで51000体に及ぶ。世界文化遺産に登録されている。460年(北魏時代)から開削され、494年の洛陽遷都の前には大部分が完成した。

雲崗石窟

2日目

千釈迦文殊像

4日目

大同山西省の北部に位置し、河北省や内モンゴル自治区に接する砂漠性気候の地方都市。趙(ちょう)の武霊帝(~紀元前295年)が開き、5世紀ごろに栄えた北魏はここに都を置いた。中国地方の重要都市として2300年以上の歴史を誇る。人口は318万人。

豆麺の夕食をとる。豆麺はリョクトウからとったでんぷんを春雨状の麺にしたもので、中国の東北地方で主に食べられている。リョクトウは緑豆で、日本ではもやしにする。ちょうサメのような魚が出た。

5日目へ

おおきな法輪

小さな法輪

明代に建立された青銅製の万仏銅殿

サンザシ、クルミ、ニンニクなどが売られている。

三教殿には仏教、儒教、道教の三開祖釈迦、孔子、老子の塑像が一堂に並んでいる。

瑠璃瓦が美しい大雄宝殿。

華厳寺木塔

第18窟の仏像。阿弥陀仏像で、高さ15.5mで、雲崗石窟早期の彫像の最も複雑な背窟である。千仏の袈裟を被く。

金閣寺

珠像寺