5日目

チェスキー・クルムロフ

プラハのホテルを出て、約180km走り、チェスキー・クルムロフに着いた。

魚料理の昼食(添乗員さんが醤油を貸してくれた。)

旧市街を散策

ザルツァッハ川

ドップラーの家

自由時間があったが、雨が降って寒かったので、一番古いというカフェ・トマセリで、「カイザーメランジ」を飲んで休んだ。コーヒーを飲んでいると、お盆にケーキを沢山載せて売りに来た。夕食の前だったので、「要らない」と断った。

旧市街を散策する。字の読めなかった民衆のため、店の商品を看板で示している。

丘の上にそびえるホーエンザルツブルグ城塞はザルツブルグのシンボル。ドイツ皇帝とローマ教皇の叙任権争いのさなか、1077年大司教ゲーブハルトによって着工され17世紀になって完成した。内部には、歴代司教の居室や拷問部屋などなある。

その後約40kmバスで走り世界遺産・ザルツブルグに戻った。雨のなか、日本人のガイドさんと一緒に市街を散策する。

カトリック教区教会に行って見た。ルーマニアで見た「愉快なお墓」に似た綺麗な墓が並んでいた。

ハルシュタット湖のほとりにある美しい町並みは世界遺産に登録されている。湖ぎりぎりまで岩肌が迫り来る景観が目の前に広がる。この町では、先史時代(約2500年前)から岩塩の採掘が行なわれていた。町からケーブルカーに乗り、坂を上ると塩鉱がある。ハル=塩(ケルト語)  シュタット=場所(ドイツ語)  ハルシュタットの教会には、1734年に、岩塩の坑道から塩漬けの遺体が発見されたという記録が残っている。遺体と共に発見された衣服や道具から、この遺体は先史時代の岩塩の鉱夫で、落盤などで坑内に閉じ込められたと考えられる。この遺体はソルトマンと呼ばれている。

チェスキー・クルムロフ城は、プラハ城に次ぐ大きな城。13世紀に創建されたこの城は、その後次々と新しい建物が付け加えられ、それぞれの時代の様式が見事に調和した巨大な複合建物となった。東西に広がる城の最も古い部分はフラーデクと呼ばれ、赤い門をくぐって中庭(第一の中庭)にはいり、正面に見える塔のある建物を言う。城全体では、第1から第5までの中庭があり、第4と第5の中庭の間には、ブラーシュティ橋がある。この橋を渡ると、広大な庭園に続く。

モーツアルトの生家。ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは、1756年1月27日に、この地を管轄する大司教の宮廷音楽家レオポルド・モーツアルトの子として生まれた。今もオーストリア国旗が掲げられている。彼が生まれた4階の部屋が博物館になっており、彼が使用した楽器、自筆の楽譜や手紙、肖像がが展示されている。(中に入った。)

伊根の舟屋のような家が並ぶ。

マルクト広場

外から見た城

エレベーターで丘の上に上がって、新旧市街を見下ろす。

夕食は、ロールキャベツだったが、中身はソーセージのようで、キャベツが焦げていてもこの国の人は気にしないようです。

元祖モーツアルトクーゲルンを売っているフェルト社の店で、1個1ユーロの銀のクーゲルンを2個買った。左の金のものは、どこでも売っているミラベル社のクーゲルン。どちらが美味しいか人によって分かれたが、銀のほうが高級感があるが、金のほうが食べやすい。

ザルツブルグは、モーツアルト生誕の地であり、音楽の町として有名である。一方で、この町は、強大な権力を持つ大司教が支配していたことから、イタリアとの結びつきが強く、あちこちで壮麗な寺院、イタリア風の建築を見かける。市街はザルツァッハ川によって新旧がはっきり分かれている。

ザルツブルク

白馬亭でコーヒーを飲み、名物のケーキ(メレンゲ)を添乗員さんから一口いただく。

船着場があり、サンクト・ギルゲンから船で来ることもできる。

聖ヴォルフガング教会

ザルツブルグに着いて、チキンの夕食をとり、ホテルに入った。

マリア記念塔

スヴォルスシティ広場で、日本語猛勉強中のガイドさんと

城の塔と聖ヴィート教会の塔

塔の階段

中庭

城と城はこのような渡り廊下でつながっている。

6日目

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中庭

ミラベル宮殿・ミラベル庭園

ミラベル宮殿は1606年に建てられたが、1818年の火災後修復され今日の姿になった。現在は市役所た図書館として使用されており、「天使の階段」と呼ばれる美しい装飾をされた階段を見学できる。(中には入らなかった。) 

昼食後、オーストリアのザルツブルグに向けてバスで約220km走る。途中のトイレ休憩のレストハウスで、上にホイップした生クリームの乗った「カイザー・メランジェ」を注文すると、空のカップがお土産についてきた。

三位一体教会

チェスキー・クルムロフは、1992年にユネスコの世界遺産に加えられた世界で最も美しい町のひとつである。大きく屈曲して流れるヴルタヴァ川に優しく抱かれて美しさを保ち続けてきた。13世紀に南ボヘミアの豪族ヴィートコフ家によって城が築かれたのが始まりで、14世紀初頭にヴイートコフ家は断絶し、以来ロジュンベルク家がこの地方の支配者となり、16世紀に最盛期を迎えた。その後、エッケンベルク家、シュヴァルツェンベルク家へと支配は移り変わった。町の外には、ボヘミアの豊かな大地が広がり、旧市街地には、石段の細い路地が入り組んで、中世そのままの雰囲気が残されている。

「サウンドオブミュージック」に出てきた階段。

観光の時期は終わったようで、お店の大半は閉まっていた。雨の降る中、ヴォルフガング湖のほとりの「白馬亭」で、コーヒーを楽しむ。゙

昼食後、バスで約40km走って、ザンクト・ヴォルフガングへ。

サンクト・フォルクガング

夕食は、オーストリアの代表的な料理「ターフェルシュピッツ」(牛肉をビーフブイヨンで煮込んだ料理で、リンゴムースや西洋ワサビを付けて食べる。)

今日は、楽しみにしていた人が多い「ハルシュタット」に行くのに、朝起きたら雨で、おまけにすごく寒い。バスで、約75km走って、雨のやまないハルシュタット湖に着いた。

ハルシュタット

城の塔  フラーデクにある城の塔に上がることができる。塔は、初めゴシック様式で建てられたが、1580年〜90年に現在のルネッサンス様式に改修された。円筒形のデザインと赤と緑の鮮やかな色彩が印象的で、町を歩いていると、狭い路地の間からふと目に飛び込んでくる、この街のシンボルである。

オーストリア

その後連泊のホテルに帰った。