ホテルを遅めに出て、約250km先のデルシュタインに向かってバスを走らせる。途中世界遺産「ヴァッハウ渓谷沿いのドライブ」楽しむ。
7日目
魚料理の昼食
その後、ケルントナー通りで解散となり、自由行動になる。1時間しかなかったので、先ほどは入らなかったシュテファン寺院に行く。中には、入れたが、ミサが始まっていて、祭壇に近づくことは出来なかった。次に、戻って、カプティーナ教会を見に行く。カプティーナ教会は皇帝納骨所でもあり、ハプスブルク家の人々の棺が安置されている。皇后エリザベートのとその夫皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、マリア・テレジアとその夫フランツ1世等の棺が並んでいる。中には入れなかった。
「バベルの塔」ブリューゲル
シュテファン寺院
ベルヴェデーレ宮殿
8日目
すべての予定を終えて、今日は帰る日となりました。バスでウィーンの空港まで行き、ウィーン時間13時のオーストリア航空に乗り11時間のフライトの後、成田には、朝8時15分に着きました。向こうも寒かったが、日本もすっかり冬になっていたのには、驚きました。
ブルク門(英雄門)
ハプスブルク帝国の中核だったオーストリアは、チェコやスロバキア、ハンガリーといった東側陣営の国とは歴史的に非常に近い関係にあり、さらに南はイタリア、北はドイツというヨーロッパ南北を結ぶ文化の通り道であった。ハプスブルク帝国の首都ウイーンは、帝国各地の文化を受け入れ、発展させてきたヨーロッパ有数のコスモポリタンな都である。中世、バロック、現代とさまざまな時代の歴史的建築物によって彩られており、モーツアルト、シューベルト、ヨハン・シュトラウスといった音楽家たちは、この町で王族や有力貴族の庇護を得て活躍した。
ウイーン
8日目
上宮と下宮に分かれたバロック様式の豪華な宮殿。オスマン朝軍がウィーンに攻め込んだ時、総司令官として活躍した英雄プリンツ・オイゲン公の夏の離宮として、18世紀初頭に建てられた。現在の宮殿は、オーストリア・ギャラリーとして芸術作品の展示を行なっている。特に上宮は、ウィーン分離派の作品(世紀末芸術)を多数収蔵している。グスタフ・クリムトの「接吻」「ユデイト」やエゴン・シーレの「死と乙女」ちった傑作が一堂に会す。下宮はオイゲン公の居室の公開や企画展を行なっている。
王宮 ヨーロッパを征したハプスブルク家が、1918年まで650年間居城としたのがこの王宮。ミヒャエル広場に面しているのが、13〜18世紀に建てられた旧王宮で、リンク沿いにあるのが119〜20世紀にかけて建てられた新王宮で、内部は博物館として公開されている。
市庁舎 19世紀後半に建てられた市庁舎は、ネオゴシックの美しい建物。市庁舎前では、夏季を中心にさまざまなイベントが開催される。
ヨーロッパ三大美術館のひとつで、絵画、工芸品のコレクションはもちろん、館内の装飾もすばらしい。1階には、古代エジプト、ローマ時代の工芸品を展示。2階には、近代初期に活躍した画家の絵画が一同に揃う。オランダ出身の画家「ルーベンス」や「ブリューゲル」の最高傑作といわれる「農民の婚礼」「雪中の狩人」イタリア人画家ラファエロやスペイン人画家ベラスケス、寡作で知られるフェルメールの作品なども収蔵している。
「絵画芸術」フェルメール
「農民の婚礼」ブリューゲル
「雪中の狩人」ブリューゲル
宮殿庭園のスフィンクス
ヨーロッパ三大オペラ劇場のひとつで、1861年〜69年にルネッサンス様式で建てられた。上演されるオペラやバレエは最高レベルのもので、7・8月のオフシーズンを除くほぼ毎日、年間300日を超える公演が行なわれている。
国立オペラ座
今までは、一回の旅行で一国を回るツアーを見つけて参加してきたが、今回は4ヶ国をまわるツアーだった。ガイドブックを見ると、まだ見るべきところが沢山あるようだ。 範囲が狭く、EU連合ということで、国境も無く、全てバスで走れました。 中世の町並みが残り、まるでおとぎ国のような路地を歩いていると、なんだか不思議な感じがしました。どの街も、新市街と旧市街があり、旧市街は大切にされているようです。日本の木の建築と違い、石の建築は保存しようとすれば出来るので、後世にずっと遺して欲しい。また、機会があれば、今回行けなかった所も見てみたいと思った。
王宮ミヒャエル門
17世紀末にバロックの巨匠ヨハン・フォン・エルラッハによって建てられた、ハプスブルク家の夏の宮殿である。女帝マリア・テレジアや少女時代のマリー・アントワネットがここに住んでいた。1814年〜15年にはウィーン会議が開かれた。外観はビビッドな黄色で統一されたバロック様式で、宮殿内はロココ調の豪華な雰囲気、宮殿前のバロック庭園は、総面積1.7kuもある。フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベートの部屋など22室を見るツアー(35分)とそれに加えてマリア・テレジアにまつわる部屋など40室見学するツアーがある。今回はウイーンの日本人ガイドさんに1時間近く宮殿内を案内してもらったので、40室ツアーだったようだ。
1809年、ナポレオン率いるフランス軍が、王宮の堡塁を爆破した。古びた市壁はウィーンの街を近代的な武器から守りきれないことをウィーン市民は思い知った。1857年、フランツ・ヨーゼフ1世がとうとう市壁の解体を命じる。そして堡塁の跡地に軍隊の行進が出来る大通り「リング通り」を建設する計画を打ち出し、完成までに30年かかった。
オモチャの車を引いて横断歩道を歩く男の子
ウイーンは、「音楽の都」「森の都」といわれる古都である。旧市街のリングと呼ばれる環状道路沿いを走るトラムに乗ってゴシック、バロック、ネオゴシックなどの建築様式を眺めているだけで、時代をさかのぼったような気分になってくる。ウィーンでは、ヨハン・シュトラウスやモーツアルトなどを演奏するコンサートが季節を問わず開かれている。ハプスブルク帝国時代の栄華が残り、多種多様な芸術が交錯する町である。
ビーフ料理の夕食をとり、ホテルへ。
シュトラウスの黄金の像
シューベルト像
画家ハンス・マカルト像
クアサロン
約80kmバスで走って、ウィーンに着いた。夕食までの間、市立公園を散策する予定だったが、夜になってしまった。夜の公園を歩き回ることになる。
教会
ヴァッハウ渓谷で最もロマンチックな町。山の上にある城跡は、ケーンリンガー城。イングランドのリチャード獅子心王が十字軍で活躍した帰りにオーストリアのレオポルト公に幽閉された城である。城までは歩いていけるそうですが、殆ど廃墟になっているそうです。
ヴァッハウ渓谷は、オーストリア北部のドナウ川下流地域に広がる景勝地である。南北の山脈に抱かれたメルクからクレムスまでの36kmに及ぶ渓谷一体が「ヴァツハウ渓谷の文化的景観」ということで世界遺産に登録されている。 渓谷の両側には、古城や修道院が点在する。ドナウ川流域には、太古の人たちが生活していた多くの痕跡が残っているが、1909年にヴィレンドルフで発見された石像は、「ヴィレンドルフのヴィーナス」といわれている。
「カフェ・デーメル」か「ホテル・ザッハー」でティータイムの予定だったが、王宮を抜けたところにある「カフェ・デーメル」でザッハー・トルテとコーヒーをいただいた。 両カフェは、ザッハートルテの商標権を巡って裁判で争ったそうです。。
広場では、クリスマスの準備が進み、出店の飾り付けが始まっていた。
美術史博物館
今日の演目は、「愛の妙薬」。ガエターニ・ドニゼッティ作曲、1832年に初演された全2幕のオペラである。ツアーでは、最上階の席で、私達はちょうどオーケストラの真上の席だった。舞台は半分しか見えなかったが、音はよく聞こえて音響がすばらしかった。新婚の二人は、ネットで、ボックス席を予約したそうで、楽しそうに二人で見ていた。
ザッハー・トルテ
カフェ・デメル
山の斜面には、ブドウ畑がひろがり、ワインの産地でもある。
リンク沿いの国立オペラ座からケルントナー通りを歩いていると、シュテファン寺院に突き当たる。12世紀から建築が始まったこの寺院で、現存する最古の部分は正面入り口の門。ハプスブルク家の支配が始まる前、ボヘミアのプジェミスル・オタカル2世のもとで、ロマネスク様式で建てられた。その後ゴシック様式で建て替えられた。内部の祭壇は18世紀になってから作られたバロック様式。第2次世界大戦で被害を受けたものの、ウィーン市民やオーストリア各州による寄付で再建された。また南北にある塔には上ることが出来る。
シェーンブルン宮殿と庭園群(世界遺産)
バスを下りて、城跡のほうに坂を上って行くと聖堂参事会修道院教会がある。教会の創立は15世紀。シーズンオフということで、町の通りの両側のお店は、殆どが閉まっていた。教会も閉まっていて、少し歩いてドナウ川の見える展望台まで来て帰った。添乗員さんの言っていた「パン屋」さんも閉まっていて、町は閑散としていた。
スイス門をくぐるとスイス宮がある。門の名前は王宮の警備にあたっていたスイス衛兵に由来する。アーチの真上に見られるチェーンローラーは、かってここにあった跳ね橋の名残である。
美術史博物館と自然史博物館が、向かい合わせに建っていて、その間の広場に、マリア・テレジアの像がある。台座を囲むのは、有名な軍人や芸術家で、中には、若きモーツァルトの姿もある。
「草原の聖母」ラファエロ
国会議事堂
ポークシュニッツエルの昼食。
裏庭から見たウィーンの街
ナッシュマルクト市場を見学する。ウィーンの胃袋と呼ばれる食品市場は18世紀以来存在し、ウィーン市内最大のものです。月曜から土曜日までオープンし、調理と食事に必要な食材、食品がすべて揃っています。さらに毎週土曜日には、隣の広場で、最大規模の蚤の市が開催されます。
リング通り沿いにある市立公園は、ウィーン最古の、そして1区では最大の公園である。1857年に完成し、1860年には英国式庭園に改造された。ヨハン・シュトラウス(子)がいろいろな催しで何度も演奏を披露したクアサロン・ウイーンもこの公園の中にある。
渓谷の町・デュルシュタインを散策する。