朝、ホテルを出て、バスで、約200km走る。途中スロバキアとの国境を越えて、スロバキアのブラチスラバに入った。国境といっても、EU連合ということで、昔の検問所があるだけで、何の手続きも要らない。
旧市街
3日目
スロヴァキア
ブラスチラヴァ
旧市街の中心・フラヴネー広場と旧市庁舎。右が日本大使館
ナポレオン
マンホールから体を出す男
城壁の跡
城壁の跡
ボヘミアングラスの店
プラスチラヴァ城
スロバキアは、日本の約8分の1の国土を持ち、ヨーロッパのほぼ中心に位置する内陸国である。黒海とバルト海を結ぶ南北の交易路と、ロシアとボヘミアを結ぶ東西の交易路が交差する。 国土の殆どが山岳地帯で、カルパチア山脈の一部をなすタトリ山地が国土の約半分を占めている。ブラスチラバのある西部の平原や東部低地にはなだらかな地形が広がり、葡萄の栽培が盛んで、おいしい白ワインはスロヴァキアの名物である。
プラスチラヴァは、1993年、チェコとの連邦制を解消し、ひとつの主権国家となったスロヴァキアの首都である。ドナウ川に面したこの都市は、ハンガリー支配下の都市として発展してきた。1536年、当時のハンガリー帝国の首都ブダが、オスマン朝に攻め落とされた際には、ここにハンガリーの首都移された。 その後、1563年から1830年まで、ブラスチラヴァ城の麓にある聖マルティン教会で、ハンガリー王の戴冠式が行なわれた。ここで即位した王は11人、女王は7人にものぼり、その中には、マリア・テレジアも含まれる。町の中心には、旧市街が美しく保存されている。
チェコ
ハンガリー・スロバキア国境
ライトアップされた国民劇場
ドナウ川のほとり、丘の上にそびえる。四角い建物の四隅にそれぞれの塔をもった独特の外観から、「ひっくりかえしたテーブル」と呼ばれている。その後、ロマネスク様式で建てられた石造りの城が、1431年〜3年にゴシック様式の要塞に改築され、1635年〜46年の改築で、4つの塔が付けられ現在の形になった。 16世紀には、ハンガリー王国の首都になったブラスチラヴァの象徴になり、18世紀には、女帝マリア・テレジアの居城になった。やがて政治の中心は、ウィーンやブダペストに移り、1811年に大火災が起きて荒廃し、第二次世界大戦の後復旧された。
突然、電気が消えて、ローソクが付いたアイスクリームが運ばれてきた。「ハッピ・バースディ」の演奏が始まる。今日は夫の誕生日だったので、サプライズのお祝いをしてくれたのだ。添乗員さんから、絵葉書とリストのCDをいただいた。思いがけないプレゼントで、旅のよい思い出になった。
チェコのビール ドイツのローカルビールだったラガーを世界的に広めたのは、この国で生まれたビルスナーのおかげである。ビルスナーはブルゼニ市(ドイツ語でビルゼン)で、醸造されたビールの呼称から由来する。国民一人当たりのビール消費量はチェコは18年間連続世界一で、世界一のビール大国である。
昼食後、バスで約330km走り、チェコの首都プラハの街に入った。バスを下り、ライトアップされたカレル橋を見ながら、ビア・レストランに向かう。
ポーク料理の昼食。白いものは、クネドリーキというもので、肉の付け合せに出てくる蒸しパンのような食べ物。(粗引きの小麦粉に牛乳または水を加えて練り、直径5cm固体の円筒形にして茹でる。それを1cmほどの厚さにきったもの。肉汁を付けて食べると美味しい。)典型的なチェコの料理ということだが、出たのはこのレストランだけだった。美味しかったので、また食べたかった。
お土産に買った変わった形の瓶に入ったチェコのビール
聖マルテイン教会
ミハエル門
旧市街の碑
丘の上から見たドナウ川、新しい橋(展望レストランがある)と旧橋