煌めきの中欧4ヶ国周遊10日間

エステルゴムは、ブダペストから60kmの距離にあり、バスで50分ほど走った所にある。初代ハンガリー国王戴冠の地であり、ハンガリーにおけるキリスト教の総本山である。10世紀末、初代国王イシュトバーン1世はそれまでの民俗信仰からキリスト教化を進め、ハンガリー初の教会を建設した。その功績によりローマ教皇から贈られた王冠を戴冠し、ハンガリー王国の幕開けとなった。16世紀にオスマン朝の侵略により占拠されたが、現在に至るまで、ハンガリー・カトリックの中心地である。  エステルゴム・大聖堂は、高さ100m、直径53,5mのドームをいただく新古典様式の教会である。現在の建物は、オスマン朝により破壊された後、1822年〜69年に再建されたものである。

H.25.11.01〜10

成田空港発12時25分のオーストリア航空で、約11時間50分のフライトの後、オーストリアのウイーンに着いた。待っていたバスに乗り255km走り、ハンガリーのブタペストに着いた。参加者は総勢39名です。今日はホテルに入るだけです。

昼食の後は、「自由行動」だった。...オプションで「ドナウベントの美しい街観光」があったので参加した。ドナウベントとは、「ドナウの曲がり角」という意味である。

マーチャーシュ教会の裏側にある漁夫の砦王宮の丘を囲む城壁の一部で、街を分断するドナウ川対岸のペストをブダ側から見渡す絶好の展望台。白い石灰岩でできたトンガリ屋根の五つの丸塔とメインの尖塔を回廊が結び、お城のようなたたずまいの建築物。ドナウ川を見下ろす古い城を土台にして、シュレックの設計で完成した。かってこの辺りに魚の市がたっていたことや、城塞のこの場所はドナウの漁業組合が守っていた伝統からこの名前が付いた。

ブダペストは、ブダ=水 ペスト=かまどの意味で、「ドナウのばら」「ドナウの真珠」と言われている。元々3つの独立した町であった。ローマの遺跡が点在するオーブダ(旧ブダ)、13世紀以来王室が築かれ一時は欧州最大の都市として栄えたブダ、商業を中心に発展したペスト。この3市が合併しブダペストになったのは、1873年。その少し前の1849年にブダ側とペスト側はくさり橋によって始めて結ばれた。

マーチャーシュ教会は、ベーラ4世によって13世紀半ばにロマネスク様式で造られた。その後ゴシック様式で再建され、15世紀にはマーチャーシュ王が高い尖塔を付け加えた。オスマン朝軍によって占領されるとモスクに改装された。その後ハプスブルグ家の支配下にはいると、再び教会にもどり、バロック様式の装飾が施された。現在の塔は、マーチャーシュ王が建てたものより8m低い80mで、歴代の王の戴冠式が行なわれたので、「戴冠教会」とも呼ばれる。正式名は「聖処女マリアの教会」という。

夜は、「ドナウ川ナイトクルーズ」を楽しんだ。流暢な日本語の説明が流れライトアップされた建物が浮かび上がる。途中からアナウンスが景色と合わなくなったが、充分楽しめた。

市内には、トラムといわれる電車が走っている。

祭壇上部を飾る「聖母マリアの昇天」はイタリア人グレゴレティの作で、1枚のキャンバスに描かれた絵画としては世界最大級の物である。

広場の角に、旧市庁舎がある。現在は、おみやげ物屋になっていて、「カロチャ刺繍」が沢山売られていた。また、ハンガリーの名産は「ヘレンド磁器」や「パプリカ粉」などがある。

丘の上にある町で最も古いカトリック教会、プレバーニア教会がある。その丘から見た聖ペトロ聖パウロ教会

ライトアップされたドナウ川に浮かぶ船上レストラン

ハンガリー

聖イシュトヴァーンの騎馬像イシュトヴァーン1世は、ハンガリーの初代国王で、896年にウラル山脈から西に大移動し、今のハンガリーに定住した部族の長、アルバート家に生まれた。キリスト教を受け入れ、イシュトヴァーンと改名し、諸部族を統一してキリスト教を国教に定めた。その後、ローマ教皇から戴冠され、国王に即位した。国内統一やキリスト教の普及に努めたことから聖人に列せられた。

ゲレルトの丘に上るとブダの街が一望出来るが、今日は霧が出ていて殆ど見えなかった。

ハンガリー名物「パプリカチキン」の夕食。(パプリカを使ったチキンの煮込み)

くさり橋

川の向こうに「ゲレルト」と書かれたホテルがある。ここは温泉のあるホテルだそうだ。ハンガリーは世界的に有名な温泉国で、ブダペストには100を越す源泉と50ちかくの浴槽がある。オスマン朝時代を思わせる遺跡のような温泉から、スパを備えた近代的な温泉まで多種多様だ。バスの中から、プールのような温泉に入っている人たちも見かけた。

センテンドレの狭い道を抜けると、ドナウ川に出会う。ドナウ川は、センテンドレの近くで流れを大きく90度方向を変える。この辺りはドナウベント(ドナウの曲がり角)と呼ばれている。

ドナウ川は、10ヶ国を流域としている。シュヴルツヴルト地方のドナウエッシンゲンで源流河川のブレク川とブリガッハ川が合流する地点で、その名が始まる。ドナウエッシンゲンの町を治めたフュステンベルク公の城館の庭に「ドナウの泉」と呼ばれる源泉があり、ここがドナウの源流と言われている。  「ドナウ」はドイツ語で、英語では「ダニューブ」、ハンガリー語では、「ドゥナ」ルーマニア語では、「ドゥーナリア」ブルガリア語では、「ドゥーナブ」、などと呼ばれている。最終的には黒海にそそいでいる。

ハンガリーは遊牧民を祖先とするマジャル民族で、896年にウラル山脈の東方から移動してきた人々によって築かれた。ラテン系やスラヴ系の国々に囲まれ、「ヨーロッパに投げられたアジアの石」といわれている。自らをマジャル人と呼ぶ。  面積は、93000ku(日本の約4分の1)人口は、約991万人。首都はブタペスト。スロバキアとの国境に沿って流れるドナウ川は、ヴィシェグラードの辺りで大きく南に屈曲し、国土の中心を南北に貫く。通貨はフォリントで、1Ft=約0.35円

センテンドレは、ブダペストから北へ約10kmの所にある。中世からセルビア人を中心とする交易商人によって発展した町である。かわいらしい町並みや入り組んだ小路があり、町というより村に近い。旧市街には7つの教会と15以上のギャラリーがある。  この都市の名称は中世ラテン語のセント・アンドリュウに由来する。ハンガリー語では、センテンドレであるが、ドイツ語ではザンクト・アンドレ、セルビア語ではセンタンドレア、スロバキア語では、スヴァチーオンドレイである。

大聖堂の庭からは、ドナウ川と、キリスト教博物館が見える。橋の向こうは、スロバキアである。

インターコンチネンタルホテルで、自由行動の人たちと合流するが、少し時間があったので、ライトアップされたくさり橋まで散歩する。

エステルゴム

教会前には、三位一体広場があり、バロック様式の三位一体の像がある。中世ヨーロッパで猛威をふるったペストの終焉を記念して、18世紀に建てられた。

ブダペスト市民の台所、中央市場。倉庫のような建物にずらっとお店が並んでいる。

パプリカなどの野菜

唐辛子などの香辛料

名物のパプリカの加工品

聖イシュトバーン大聖堂

国会議事堂

エルジェーベト橋

ネオバロック様式の王宮殿

自由橋

聖遺体の一部

センテンドレ

中央広場とブラゴヴェシュテンソカ教会。セルビア正教会として建てられた。

王宮の丘のマーチャーシュ教会と漁夫の砦

くさり橋

国会議事堂

エルジェート橋

クルーズの後、バスで約9km走り、ブタオスに移動し、ホテルに入った。

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