トレド〜セビリア

3日目

コルドバ 創生は紀元前169年頃、ローマ時代に哲学者セネカなどを輩出し、ローマ文化が花開く。コルドバの全盛期は8世紀から11世紀初めまで続いた後ウマイヤ朝時代。ヨーロッパの中心的存在だった。後ウマイヤ朝の滅亡で町は衰退、キリスト教勢力による奪還で不遇な時代をすごすが、市民の手で守られたイスラムの遺産が数多く残されている。

バスの車窓からも丘の上に立つ風車が何箇所かで見えた。 「ドン・キホーテ」は架空のアラビア人歴史家シデハメーテ・ベネンヘーリが残したメモを手がかりにセルバンテスが獄中で書いた物語で、自分を勇敢な騎士だと思い込み、痩せ馬ロシナンテにまたがり、サンチョ・パンサを従者に、あこがれの姫ドルネシアを探す旅に出る。風車に戦いを挑むというシーンもある。ベストセラーになり、偽のセルバンテスが後編を書いたため、自分も本物の後編を書いた。

後ウマイヤ朝のアブデラマン1世の命により785年、キリストの聖堂があったところに着工された。その後歴代のカリフにより、増改築が繰り返される。再び、キリスト教徒の時治下になり、カルロス5世がモスクの中にカテドラルを造り、礼拝堂が完成した。 円柱の森 イスラム建築に見られる馬蹄形の円柱。柱や柱頭にローマ神殿やキリスト教聖堂に使われていたものを使用したので、コリント式やイオニア式などの装飾がいろいろ。

銅像の説明をする日本語ぺらぺらの巻き舌ガイド

コルドバから139キロ走りセビリアへ。コルドバをでてしばらくすると、バスのクーラーが利かなくなって、バスの中は蒸し風呂状態になった。故障したらしい。バスを変えるということでバスを降り、木陰でバスを待つことになった。セビリアに着くとフラメンコつきのディナーショウは始まっていた。

ユダヤ人街


 人一人が通れるような小路を散策する。窓や         壁には花が咲き乱れている。

花の小路

食堂なのにタベルナとは

中央礼拝堂 円柱の森の中央にあり、16世紀に完成した。豪華な礼拝堂にはチュリゲラ様式の見事な説教壇がある。

プエルト・ラピセ、セルバンテスが滞在した宿屋のある町で、おみやげ物屋がならぶ白い町です。ドンキホーテグッズが並び、教会前にはドン・キホーテの像が立つ。 ルーマニアといえば、ドラキュラでしたが、スペインといえば、ドン・キホーテですね。

 

ホテル マジョラルを出発してコンスエゴラに向かう。

この風車は観光用なのでまわっていない。風車の窓からはコンスエグラの町がよく見えます。駐車場にバスが着くとどこからか車でおじさんが現れて、風車を開けてくれた。1ユーロで入れます。中には、小麦を挽いていた装置がありました。陽気なおじさんは知っている日本語を全部並べてお土産を売りつける。 屋根は可動式で付いている棒をロバに引かせて風向きにあわせて羽根を動かしていた。

プロが使うというカスタネットを購入。70ユーロもしました。ほかのは木で出来ているがこれは圧縮布で出来ているという。フラメンコを習う予定はありません。

セビリア

ホテルからのトレドの夜明け。AM.7:30はまだこんなに暗いのです。

この地方の特産はパエリアの色付けに使うサフランで、主な産地はコンスエグラで、秋には収穫祭が行なわれる。サフラン100Gとるのに1万〜2万のめしべは必要なので高価で、普通はウコンなどで代用するようだ。

造った職人のサイン

ミブラムは祈りを捧げるメッカの方向を示す目印。コーランの一節が刻まれたモスクの中で一番重要な場所。天井は貝の形をしたクーポラになっている。

オレンジの中庭(ここのオレンジは食べられない)

メスキータ

バイレンで昼食 ガスパチョとタパス(おつまみ) ガスパチョは野菜とオリーブオイルをミキサーに けて作るスープ。 ナポレオンとのバイレンの戦いを描いたワインが付いた。

コンスエグラ

ラ・マンチャ地方の風車の町

4日目へ

鐘塔 アルミナールの塔