2015.09.18~25

天池

シルクロード浪漫 6つのオアシスの物語

カレーズ

アスターナ(阿斯塔那)古墳群は、麴氏高昌氏と唐代西州の墳墓群。墓室からはミイラや壁画、絹製品、陶磁器などが発見されている。

トルファン市街

トルファン(吐魯番)

中部国際空港を9:00に出発して、北京空港に11:35(現地時間)に着いた。日本との時差は1時間である。15:45、国内線でウルムチに出発する。20:00、ウルムチに着いた。

玄奘三蔵が講義をした講堂跡

8:30にホテルを出発して.高速道路を3時間走りトルファンに着いた。トルファンは、盆地(最低部は-154m)で、天山南路と天山北路がつながる場所として古くからシルクロードの要衝として栄えた。5~7世紀には、麴氏高昌国(きくしこうしょう)が建国され繁栄した。その後、唐の支配を経て、ウイグル民族が西ウイグル王国を建国すると、ペゼクリク千仏洞を代表とする高度な文明が出現し、トルファンは最盛期を迎えた。火州と呼ばれるように最高気温は50℃まで上がり、西遊記に出てくる火焔山はトルファンの火焔山をモデルにしている。

3日目

ウルムチの街に帰り、レストランで食事をして20:05にホテルに入った。いつまでも明るいので、目いっぱい遊べます。

バスを降り、専用のマイクロバスに乗り換え山を登っていく、。途中でバスを乗り換え湖畔の駐車場が到着地点。レストランで食事をとった後、遊覧船で湖を一周する。白い雪を被ったボコタ峰がきれいでした。

ウルムチは、世界で最も内陸に位置する都市として知られている。新疆ウイグル自治区の政治、経済、文化の中心になっている。漢族、回族、ウイグル族、カザフ族、モンゴル族など42の民族が自治区内に暮らしている。  周囲に高峰が連なっているため、ウルムチ川や白揚川などの河川が多く、オアシス都市になっている。前漢時代に西域都護府がおかれ、その後、中国と遊牧民国家との間に攻防が繰り広げられた。

今はもうこのように穴を掘る事の出来る人はいなくて、現在あるカレーズを修理しながら使っているそうです。

ブドウ棚

火焔山

玄奘三蔵が説法をした、講堂を見学した後、カートで広大な跡地を見てまわった。

高昌故城は、漢代から約1000年間栄えたトルファンの王城跡。総面積は200万㎡。最盛期は麴氏高昌国から西ウイグル(高昌ウイグル)王国の時代。唐代、玄奘三蔵法師がここに滞在し1か月にわたって説法をした。大地には、広い範囲に土を固めて仕上げた城壁が残り、城を取り囲む。故城は一辺が1.5kmの四角形で、唐代には国際商業都市として栄えた。

カザフ族の移動式住居(キーグイス)。.観光用のテントやゲストハウスもあり、天池内で宿泊する人もいるという。

アルタイ山脈沿いの出土品。墓の前に置かれていた。

4日目へ

天山山脈

ウルムチの街

ウイグル人の伝承によると。(火焔山には、ドラゴンが住んでいて、子供を食い殺したため、ウイグルの英雄がドラゴンを八っつに切り刻んだ。その八っつの部分が火焔山となり、山肌はドラゴンの血で真っ赤に染まった。)

火焔山は、天山山脈付近にある山脈。タクラマカン砂漠タリム盆地の北部で、トルファンの東部に位置する。砂岩が浸食されてできた地肌には、炎を思わせる模様ができている。平均標高は500m、比較的なだらかな山頂が長さ98km、幅9kmにわたって横たわっている。夏の気温が50℃を越えることも頻繁にある。

カレーズはペルシャ語で「地下水」を意味する。トルファンでは、いたるところで竪穴の井戸が掘られ、井戸と井戸を繋いだ地下水が町を流れる。その数は約1000ヶ所以上で、天山山脈からの水が地下水路を流れている。ところどころに穴があり、地下を流れるカレーズの位置を示している。湿度の低い土地の風土にあわせて、水分の蒸発を少なくするために地下水路としている。

現在3つの墳墓を見学できる。一つは夫婦のミイラがある。

水はとてもきれいで、魚も泳いているそうです。見ることはできなかった。

2日目

トルファンの街に戻りバザールを散策する。迷子にならないようにガイドさんの後を歩く。桃やリンゴ、ブドウなどの果物、ナッツ類、洋服、生地、貴金属、パンなど何でも売っていた。

墳墓のひとつには、ウルムチの博物館にあったミイラがあったところで、博物館にあった複製の壁画の本物が描かれている。(博物館の写真)

近くの葡萄農家でいろいろな種類の干しブドウを試食し、気に入った干しブドウを買い求めた。あとで、聞いた話だが、この後行った夜店の方がずっと安かったそうだ。この家のお嫁さんはヨーロッパ系の顔をしていた。

烏魯木斉(ウルムチ)

ムルトク河の断崖の上には、6世紀から14世紀までの間に造られた石窟寺院ベゼクリフ千仏洞がある。「ベゼクリフ」とは「美しく飾られた家」を意味するウイグル語である。10世紀頃この地に移り住んだウイグル人は、移り住んだ土地の風習に従って仏教を信仰した。それは、残された壁画の中に描かれている。受難の歴史を刻んだのは、14世紀のことで、イスラム教を信仰するウイグル族による破壊である。

木の階段がついていて上まで上がれるようになっている。

博物館にあった絵と同じ像が建っている。

高昌故城

ブドウ

ハミウリ

生肉、ケバブなどを売っている屋台

遊覧船乗り場

ボコタ峰

天池は、ウルムチの東北90kmにある。モンゴル語で「聖なる山」を意味する「ボコタ峰」は標高5445mでその中腹、高度1980mにある自然の湖である。天池から流れ出た水は滝となって流れ落ちている。

鳩摩羅什は、亀茲国(キジ)の西域僧で、後秦の時代に長安に来て、約300巻の仏典を漢訳し、仏教の普及に貢献した訳経僧である。最初の三蔵法師で、後の玄奘三蔵と共に二大訳聖と呼ばれる。 三蔵法師とは、経蔵、律蔵、論蔵の三蔵に精通した僧侶をいう。

古代のウイグル語・ガイドさんも読めないと言ってました。

ガイドのモハメドさんの案内で、新疆ウイグル自治区博物館を見学する。1階の展示室は中国西域の歴史・文化を紹介している。2階では、「ローラン美女」のミイラと対面しました。モハメドさんはウイグル族の人です。「顔を見ればどの部族かすぐにわかる。」と言ってました。

アスターナ古墳で発見されたミイラと古墳に描かれていた絵の複製。ミイラは本物です。

火焔山の富士山

アスターナ古墳から見た火焔山

ガイドのモハメドさんと

アスターナ古墳にこの絵と同じ像があった。

クチャにあるキジル千仏洞の前にある鳩摩羅什の像。

楼蘭の美女」で知られるミイラは1980年に楼蘭鉄板河遺跡で発見された、3800年前のミイラである。その複顔の写真は、髪は褐色でヨーロッパ系の顔をしている。

新疆古代干戸体(かんしたい)陳列室にあるミイラ

ホテルの窓から見たウルムチの街

ハミウリ

レストランで夕食をとり、21:00にホテルに入った。今日も目いっぱい見学しました。

葡萄畑と干しブドウを作る葡萄小屋

ケバブ

各少数民族の歴史やシルクロードの文化財などの出土品が石器時代から清代まで展示されている。なかなか短い時間では見学しきれなかった。

青銅の武士象

鴨形壺

火焔山中のムルトゥク河南岸にある石窟。開削は.6世紀の高昌国時代に始まり、最盛期は西ウイグル王国があった9世紀。当時のウイグル族は仏教を信仰しており、ここは王族の寺院であった。83窟の大部分は、西ウイグル時代のものであるが、壁画などは、ヨーロッパやロシア、日本の探検隊に持ち去られた。

トルファンまでの道には風力発電の風車が林立している。

崖下には川が流れ、木が植わり、ブドウの畑になっている。

ベゼクリフ千仏洞(柏孜克里千佛洞)

唐三彩

20窟の内部を見学する。