壷の中に豆のポタージュ様のものが入っている。
ローマ劇場近くのテストランで昼食
見下ろすと羊の群れがいた。
野外博物館のモザイク画
ダマスカスAM.8:00〜アンマンPM.5:45
4日目
ヨルダンに入って、最初の訪問地はローマの都市遺跡。アンマンの北50KMにあるジェラッシュへ。 大昔から集落が存在したが、アレキサンダー大王の時代に歴史の表舞台に登場し、 11世紀にローマの植民地になり栄えた。
ヨルダンには、約50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られている。紀元前8000年には、人類最古の農業が営まれ、西アジアに文明が発達すると交易の中心として栄え、アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった。
ローマ劇場
ボスラ遺跡(世界遺産)
ダマスカスからバスで約140KMで黒い町ボスラに着いた。
シリアについて (シリア・アラブ共和国)
ホテルの部屋で、メッカの方角を示す矢印が。
ナバテア王国の北の都として繁栄した。南の都がペトラになる。その後、ローマ帝国属州の首都になるなど、多くの勢力が興亡を繰り返す。黒色を帯びた玄武岩が使用されているため、「黒い都」といわれている。
今日は金曜日。モスクに集まる人達。それにしても沢山のオートバイが止まっていた。街中でオートバイが走っているのはあまり見なかったですが。
出国ゲートにあった写真。右は現在のアサド大統領 これより先は撮影禁止になる。 添乗員の話だと、こちらに着てからシリアからの出国税が5ポンド(約12ドル)かかることが分かって、朝から銀行でのキャッシングで忙しくしていた。もちろん会社もちです。
中東で最大の円形劇場。ローマ帝国支配の2世紀頃建設される。7世紀、この地を支配したイスラム帝国が要塞として改造した。十字軍の脅威に何度も改築を繰り返す。20世紀初頭のシリア独立直後から大復元事業が開始された。
石臼を説明するガイドのアムジャさん
円形劇場から教会を見下ろす
ダマスカスの街角
ジェラッシュ (ローマ遺跡)
競技場(ヒポドローム) 戦闘用馬車の競走 、競馬、ポロなどが行なわれた。
シリアという名前はメソポタミアで栄えた帝国アッシリアから来ている。今年のラマダンは9月1日〜10月1日。 で私達はラマダンの最中に旅行に来てしまった
ニンファエウム ギリシャ神話の半身半人の精霊ニンフのための馬蹄形の二階建て祭壇
列柱道路の馬車道にある、マンホールの跡
アルテミス神殿 遺跡のメインストリートを行き、西側の丘をも登る。12本の柱が残るが、かっては南北に11本、東西に6本の計17本が立っていた。柱は耐震構造で隙間にスプーンを差込み、風でゆれるのを見せてくれた。手で押してもゆらゆらする。よく倒れないと感心する。女神アルテミスはギリシャ神話でオリンポス12神の一人で、生殖,豊潤をイメージした女神。ローマ神話ではDiana(ディアナ)。12世紀の十字軍遠征で一部破壊された。
耐震のため、柱の底が丸くなっている。
。円形劇場でバグパイプを演奏する人。
フォーラム 3000人を収容する卵形の広場。イオニア式の列柱に囲まれ、中央には、鉄製のオブジェを載せた円柱が飾られている。市場か宗教儀式に使われていた。
20KM走ってヨルダンとの国境の町に着いた。これから陸続きの国境を越える。
野外博物館に置かれた古代彫刻。劇場の裏側がぐるりとまわれて舞台側が野外博物館になっている。
城壁で囲まれたローマ劇場
ホテルで朝食をとっていると、おじさんが「ショップ イズ オープン」と言いまわっていた。早速寄ってみた。大判のショールを8ドルで買ったが、帰ってきて見たら、結構しっかりした作りなので、もう一枚買えばよかったと思った。
劇場を取り囲む城壁
観客席の石段を登ったが、上に来ると、結構勾配がきつく、目がくらむようだ。
ダマスカスのホテルの前
ガイドの話だと、ここは馬の水のみ場だという話だったが、ニンフの祭壇で馬が水を飲むなんて変!! なまりの強い英語を添乗員が日本語に訳すので時々わけが分からない説明があってすったもんだしたがここもおかしいかもしれない。
フォーラムから800M続く列柱道路。かっては520本あったが、今は71本が残っている。
円形劇場(南劇場) 音響効果を考えて造られている。
シリアと同じような食事内容のバイキングです。
劇場の舞台側
ホテルで食事まで時間があったので着物を着てみました。
富山から参加、山登りもするそうです。