パルミラ AM.7:30〜ダマスカスPM.6:40
シリアのビール
北側の礼拝堂
神殿の窓から広場をのぞく
古城の全景と水道橋の遺構
パルミラで最も重要な建物。パルミラの三位一体の神々、主神ベル、太陽神ヤルヒボール、月神アグリボールが祀られていた。 神域は東西210M、南北205Mという大規模なもの。列柱やファサードには、動植物の繊細な彫刻が施されている。
ベル神殿
入り口上の彫刻
地下墳墓の入り口
ところどころに開いた穴
壁に彫られた彫刻 と 置かれたレリーフ
アラブ城は、ヨーロッパからの十字軍に対抗するための軍事基地として建設された。 現在の形は、17世紀オスマン帝国のファクル・エド・ディーンにより完成されたものです。 150M高さがあり、登って中に入ることも出来るそうです。入ってみたかった。
神殿の門を入ると南側の礼拝堂がある。
遺跡の入り口 記念門
丘の上のアラブ城
どちらの通りからも門のファサードが正対して見えるように、門の土台は三角形になっている。
三兄弟の墓 地下墳墓
天井には黄道12宮のレリーフ。べトウィンの住処になっていたので、焚き火で煤けている。
やしの木や石榴、パイナップルなどの果物や宮殿にいる人が描かれている。
下は葡萄で、上はマンゴーか?
壁に開いた穴は石を積み揚げるときに差し込んだ棒の跡。(石を留めた金具をとった跡と言う説もあるが本当だろうか?)
修復されていない円柱がごろごろしている。
神殿の裏側の列柱
広大な神域
クラック・デ・シュバリエのレストランで昼食
ケバブ(ビーフかチキン)ホブス付き。これはビーフのひき肉のケバブ
豆の炊き込み風ご飯
前菜 野菜や豆、ハーブたっぷりの小皿が並ぶ。ホブスという平たいパンでスクって食べる。何かのペーストが多かった。
レストランによってノンアルコールのビールしかない所や、ビールもワインもある所に分かれる。
パルミラから西に250KMバスで走り、天空の城「クラック・デ・シュバリエ」に着いた。 シリア高原と地中海を結ぶ戦略的に重要な地に建てられた堅牢な要塞は、11世紀頃、アラブの砦だった場所を占領した十字軍が、何年もかけて築き上げた。1271年 マムルーク朝によって陥落した。その後、イスラム風の内装が施された。保存状態は極めてよく、十字軍が残した城の中で最も美しいといわれている。約50年前まで人が住んでいた。見張り塔からは西側のレバノン山脈にある砦も見渡すことが出来る。
礼拝堂にあるミブラブ、2箇所あった。
礼拝堂にある説教壇
見張り塔からふもとの町を見渡す。
3日目
シリア砂漠のほぼ中央。ナツメヤシの茂るオアシスに、砂漠の商人アラム人が紀元前12世紀に移り住み、東洋と地中海の中継地という地理的な利点を生かし、前1世紀ごろから隊商都市として発展する。 1世紀末には、ライバル都市のペトラ(ヨルダン)がローマに吸収されたため、パルミラが隊商ルート唯一の中心となり、繁栄のきわみに達した。パルミラはギリシャ語のパーム(ナツメヤシ)からきている。
パルミラの西方に「墓の谷」の一画がある。パルミラ神殿造営に多額の寄進をしたエラベル家一族の墓。地上5階建ての塔形墓。中は、引き出し式に何段も棺を入れられるようになっている。発見された時は一体も無かった。付近にたくさんの塔形墓があるが、一番保存状態がよい。
パルミラ遺跡
礼拝堂の壁にはミブラブがある。
三人の兄弟を中心に、一族が埋葬された地下墳墓。当時、有力な家族は一族の墓を持っていた。内部は、レリーフや色彩鮮やかなフレスコ画の壁画に彩られている。当時の人が祖先を崇拝し、永遠の家である墓を重視していたことが推察される。近年修復されて綺麗になっていたが、撮影禁止だった。
ホテルからのナツメヤシの茂るオアシスと遺跡群
実を付けたナツメヤシの木
ダマスカスのホテルで夕食
墓の谷 エラベル家の墓
ベル神殿からダマスカス門に続く列柱道路
窓から外の墓ををのぞく
浴場
四柱門
ゼノビア パルミラが最も華やかだった時代に君臨したのは、クレオパトラの血を引くといわれた、美貌の女王ゼノビアだ。 夫の跡を継いだ彼女は、政治的手腕を発揮して、交易による莫大な富を背景に、エジプトまで領土の拡大を図った。ローマ帝国に反旗を翻し、独立を試みた。息子にアウグストゥス(皇帝)と名乗らせローマ帝国征服まで夢見た。しかし、272年ローマ皇帝アウレリアスの侵攻を受け、街は廃墟と化した。パルミラは首都から要塞の一つに転落してしまった。 遺跡の柱などに書かれた碑文から、彼女の名前が削り取られているのが発見されている。
食料貯蔵庫
中庭