H.28.03.29~31
今日の宿は高知県土佐にあるよさこい温泉である。
天守閣跡・生駒氏時代の天守は、3層だったとされている。松平氏時代に改築された天守は3層5階の南蛮造りで四国最大の規模を誇っていたが、明治17年に取り壊された。天守台修復工事が行われ、発掘調査の結果、地下1階部分から、58個の礎石が当時のまゝ、現れた。今後、天守閣復元に期待がかかっている。
早朝家を出て、東海道線で静岡へ、新幹線こだま号に乗り換え名古屋へ、ひかり号に乗り換え岡山に着いた。ここからはマリンライナーで瀬戸内海を渡る。
瀬戸大橋は岡山県倉敷市と香川県坂出市を結んでいる。坂出駅に11時2分に着いた。バスに乗り換えツアーが始まります。
苧綿櫓(重文)肱川のほとりにある。
3日目
今治城・愛媛県今治市
南隅櫓(大洲城現存する最古の建物・重文)
鞘橋・本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋で、当時は欄干橋だったが、江戸時代中期にはこのような屋根付きの橋になった。
高知城は、江戸時代から現存する12天守のひとつである。本丸のすべての建物が残っているのは高知城だけである。明治生保は1873年に廃城令を発布し、た。多くの指導者が、城が不平武士の反乱の拠点に利用されることを恐れたからである。高知城は存続すべし40の城に含まれていなかったが、高知県がいち早く公園化することを国に申し出たからと言われている。
長く急な石段を上ると本丸跡に出る。藤堂高虎が創建したとされる望楼型天守を伊達家2代宗利が寛文6年に3重3階総塗籠式、層塔型に再建した。 各階の装飾性の高い破風や懸魚などかた太平の世を象徴するものとされている。
大洲城は、伊予大洲市にある、日本一の高さを誇る四層の復元天守を持つ城である。清流肱川のほとりに築かれ、多くの武将達が主となった城である。明治期に姿を消し、百余年たち、再び四層四階の木造天守の姿がよみがえった。
今夜の宿は「道後温泉」で、ホテルに着いて湯籠を持って早速「道後温泉・本館」に出かけた。今回は、蜷川実花さんとのコラボで、暖簾、障子の派手な色彩と模様には驚いた。神の湯にゆっくり入り温泉を楽しんだ。
紫竹門・本丸の大手と搦手を仕切る脇戸付き高麗門である。本壇北側にあった中仕切り門と合わせ、搦手を守る重要な門である。
松山城は、海抜132mの勝山山頂に本丸、中腹に二の丸、山麓に三の丸を置く連郭式平山城で、敵の侵入を防ぐため、二の丸を取り囲むように山麓から本丸にかけて「登り石垣」が配されている。創設者は加藤嘉明で、関ヶ原の戦いで家康軍に従軍し、その戦功を認められ、20万石の大名になった。以前四国を旅したとき来ているので、今回は前回観なかったところをのせています。
かっては、内堀、中堀、外堀の三重の水堀に囲まれ、海水が流入していた。中堀の端は広い港湾になっており、城内の港としては日本最大でした。瀬戸内を監視する役目があったと考えられる。
今治城は築城の名手・藤堂高虎の最高傑作である。選ばれたこの地は瀬戸内海に面し、「吹上の浜」とよばれた砂丘地帯であった。藤堂高虎は関ヶ原の戦功で、伊予半国20万石を領し、慶長7年(1602)に築城を開始し6年をかけて完成させた。明治になって城の建築物は全て解体されたが、石垣と内堀がほぼ完全に残っている。現在は、天守、櫓、城門などの再建が進み、雄大な城郭の姿を見せている。
肱川には可動式の堰があり、鵜飼いも行われている。
アンパンマン列車は2000年に土讃線で誕生し、次々に四国中で走るようになった。
披雲閣と庭園・松平藩時代に現在の場所に広大な建物が(現在の2倍)あった。藩の政庁や藩主の住居として使われていた。明治時代に取り壊され、大正6年に現在の建物が完成した。庭園も大正6年に作造された枯山水の庭で、江戸時代の三尊石や重さ11トンといわれる手水鉢、昭和天皇御手家植えの松などがある。
艮櫓(旧太鼓櫓跡)は、もともと東の丸の北東の隅にあった櫓で、北東の方角を丑寅ということからこの名がついた。三重三階、入母屋造り、本瓦葺き。昭和20年に東の丸より旧太鼓櫓跡に移築された。
月見櫓は、北の丸の隅櫓として1676年頃に完成した。出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から見たにで「着見櫓」ともいわれている。総塗籠造り、三重三階、入母屋造り、本瓦葺。
ムサシアブミ・城山には450種の草木が生い茂り、苔むした石垣群と幽玄の美を織りなしている。
宇和島港をのぞむ
創建時の五層天守は、各階を順次小さくして積み上げる「層塔型」でした。慶長15年に丹波亀山城に移築された。現在の天守は、本丸の北隅に再建した模擬天守で、内部は資料館と自然科学館になっている。
宇和島城 (愛媛県宇和島市)
現存12天守・丸亀城、高知城、備中松山城、弘前城、、松江城、松本城、犬山城、彦根城、、宇和島城、松山城、丸岡城、姫路城の内、今回は4城を見ることができた、以前に4城見ているので、あと4城が見ていないことになる。機会があれば行ってみたいと思います。
高松駅に移動して、マリンライナーで岡山駅に、こだまに盛替え掛川駅で降り、藤枝に着いた。
城を出、て歩いて「南隅櫓」に行く。隣には「御殿様公園」があり、国登録有形文化財に指定されている「旧加藤家住宅主屋」がある。お雛様が飾られていた。
高知城 (高知県高知市)
旧大洲藩主の加藤家が大正14年に建築したもので、木造2階建ての和風建築である。
高蘭櫓(重文)天守(復元)台所櫓(重文)
高松城は玉藻城ともいわれていた。豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正が、天正16年から香東郡野原庄と呼ばれていた現在地を高松と改め、築城に着手した平城(水城)である。瀬戸内海の海水を外堀、中堀、内堀に引き込んだこの城は、日本三大水城と言われている。城跡には、重要文化財の月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓とともに、石垣や堀が残る。
史跡高松城跡(高松市立玉藻公園)
伊達10万石の城下町と呼ばれ、江戸時代から四国西南地域の中心として発展してきた宇和島市はリアス式海岸地帯にある。藤堂高虎創建時には、大半が海に面する地形を巧みに生かした縄張りとなっていた。現在堀は埋め立てられ、大部分は失われたが、本丸、二の丸等の郭を含む城山は国史跡、現存する12天守のひとつに数えられる天守は国重要文化財に指定されている。
紫竹門を入ると、乾櫓、野原櫓がある。
伊予松山城・愛媛県松山市
勘兵衛石・城主の威厳を示すため、目立つところに置かれた巨石で、城の入口の正面にある。
2日目
旭橋と旭門・かって、城の南側の桜の馬場の南中程に大手門があった。三の丸に藩主の住居である披雲閣が建てられたために、新たに東に旭橋を架け、旭門から出入りするようになった。
大洲城 (愛媛県大洲市)
この城は、日本さくら名所100選に選ばれていて、今日は5分咲きくらいで、きれいでした。
マリンライナー